『イサム・ノグチ』

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読書日記

2012年12月17日

『イサム・ノグチー宿命の越境者』上 ドウス昌代 講談社文庫 上下共に752円+税  

巷やマスコミは昨日の衆院選挙結果自民の圧勝と都知事選猪瀬当選で沸き立っているであろう。
が、私は今回ばかりは全く関心がない。昨日一票を投じてきたが、そのためか風邪がぶり返して家の中でグビシャビしている。歳取ると風邪は治るのに1ヶ月はかかると脅された、ったくもうっ。

映画「レオニー」を観て、早速この本をアマゾンで取り寄せた。
彫刻家イサム・ノグチの伝記であった。
日本人男性野口米次郎(後に慶応大教授となる)を父にもつアメリカ人女性レオニー・ギルモアの私生児として1904年(明治37年)にロサンゼルスで生まれ、1988年(昭和63年)にニューヨークで死去した。
「あいのこ」として日本人社会にもアメリカ人社会にも受け入れられない孤独感、疎外感を常に引きずって、でもどこかに属したいという願望、自分の故郷はどこなのか、安住の地はあるのか、探し続けた壮絶な芸術家としての生涯が綴られている。
彼の、エキゾチックなひとを惹き付けてやまない強烈な個性と魅力のために、日本を含めて世界中の超一流の人々の知遇を得る。それがパトロンであったり、メンターであったり、恋人であったりして、次々に国際的な注目を浴び、傑作を生み出していく。
彫刻ばかりでなく、建築家との協同で空間設計や庭園作成に活動の範囲を広げていく。
彼がどうしても超すことのできない世界は、京都の日本庭園だったようだ。

ドウス昌代の著作は初めて読んだ。
彼女の取材の凄さに驚かされた。彼女は語っている、「イサム・ノグチへの旅」はノグチが人生の各節目で出会った人々を世界各地に訪ねる旅であったと。そう、イサム・ノグチの人脈と足跡は、アメリカはもとより、メキシコ、フランス、イタリア、インド、そして日本と各地に広がっている。
イサム・ノグチ自身は決してその地に長く留まることはなかった。安住の地を探し求め続けて終わった生涯だった。

人間の生涯、様々あるものだとつくづく感動した次第。
 

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