『東方見聞録』 青木富太郎訳 社会思想社現代教養文庫 560円+税
「東方見聞録」とは、ベネチィアの商人の息子マルコ・ポーロが、13世紀終わりから14世紀初めにかけて、今で言うところのシルクロードか、の近辺の国々を、26年にわたって旅し滞在した、商人の目から見た観察の記憶の聴き伝え本である。
マルコ・ポーロのメモや著作ではない。
父と伯父と3人で、大商隊を組んでベネチィヤからペルシャ、パミール、インド、チベットなどを経てアジアを横断し、元にまで到達し、帰りは海を、ベトナム、マラッカ、スマトラ、セイロン、南インドを経由し、ホルムズから上陸して黒海を渡り、コンスタンチノープル通って地中海をアドリア海へと帰る。巨万の財宝・宝石などを積んで。
元のフビライ・ハーンには17年間使えた。
そういえば、阿倍仲麻呂は唐の玄宗皇帝に請われて、一生を唐で終わったな。
日本を初めて、「チパング」としてヨーロッパに紹介したのもマルコ・ポーロで、ベネチィアに帰国してみんなに話した。彼は日本へは来たことがなく、多分フビライの宮廷で聞きかじったことらしい。
ともかく彼の知り得た事柄は、当時のヨーロッパ人の知識を遙かに超えたもので理解されず、マルコ・ポーロは"おおほら吹き"という渾名をつけられもした。シェークスピアは戯曲で、おおほら吹きのことをマルコ・ポーロと書いているくらいである。
帰国後ベネチィア軍の指揮官となったマルコ・ポーロが、ジェノアとの海戦で敗れて捕虜となり牢に繋がれていた時、作家のルスティケロという人物も牢に繋がれていて、彼がマルコ・ポーロから聞いた話しとして纏めたといわれる本が、その後、幾多の訳者や著者の書き加えた物となって、多くのいわば「マルコ・ポーロの東方見聞録」となって広まったらしい。
本著もその一つが翻訳されたものである。
日本にいて、美術館や博物館、特別展示などで、多くの『マルコ・ポーロの東方見聞録』を目にし、かつてのベストセラーであったろう本を是非読んでみたいと思っていた。私自身、30数カ国を旅して、彼の旅の具合にだんだん興味をもっていった。
実際に読んでみると、それが聴き語りではあるが、険しい難所や、初めて会い、目にする物事にたんたんと接している風は、約30年間も旅にいられる資質なのかなと、今日はどこでも飛行機でひとっ飛び、食べ物はどこでも上質、快適な空間、整った司法制、何とか通じる言葉などなのに、疲れて早く帰りたいなどという旅意識と、とても比較にはならないわと感歎した。
ポーロ家は、当時随一の国際都市国家ベネティアの商家であるから、いわば今日の国際商取引に直に出向いていったようなものだろうが、その商魂そして冒険心や半端ではない!
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