昨日能を鑑賞した。定例の金春定期能。 国立能楽堂にて。
「巴」 能
ご存じ木曽義仲と巴御前の愛と合戦の話である。
近江路粟津浜で義仲最期の戦いの時、義仲は巴御前に一緒に自害せずに女であるから我が守小袖を木曽に届けよと命じる。
最後にきて共に戦うのを拒まれた巴は恨みに思いつつ命に従う。
その愛の深さ恨みの深さが亡霊となって、旅の僧に弔いを願う。
「清水」 狂言
軽いユーモアたっぷりの小話である。茶の湯が流行っているので主人が家でも点てたいとよい水を汲みに太郎冠者を野中の清水に行かせる。ところが行きたくない太郎冠者は鬼が出たと言って途中で戻ってくる。……。
「雲林院」 能
芦屋の里の公光は、伊勢物語を愛読していた。
あるとき、雲林院の花の陰に在原業平と二条の后が現れる霊夢を見て、京北山の雲林院に出向く。ころは桜の時。公光がそこに咲く桜を手折ろうとすると、一人の老人が現れてそれを咎める。霊夢の話をすると、老人は自分は業平であるとほのめかし消える。
公光が眠ると、ありし日の公達の姿で業平が現れ、二条の后との恋を語り、序の舞を舞う。公光が目覚めて夢が覚める。
「桜川」 能
九州日向の桜子(さくらご)は、自らを人商人に売り、手紙と金を貧しい母に渡すよう託す。それを読んだ母は、嘆きながら我が子の行方を尋ねようと東国に向けて家を迷い出る。
3年後、常陸の国桜川は満開の桜が咲いている。彼女は物狂いとなって、掬い網をもって川面の桜の花びらを掬っている。我が子と同じ名をもつ桜の花びらを掬っているのである。我が子に桜子と名付けたのは、信心している木華開耶姫(このはなさくやひめ)の氏子なるが故。
磯部寺の住職が弟子の少年を連れて花見に来る。その少年が我が子と知った物狂いは、子と連れ立ち故郷に帰っていく。
* ちなみに、「このはな(木の花(華))とは、梅や桜の別称である。
桜に因んだ出し物が二題。
私も、この時期の定番となっている我が一張羅の桜の花模様の総レースのツーピースで楽しんだ。
夕の会食への移動中、タクシーから眺める東京都心の青山赤坂辺りの桜は、満開もあればまだ一分咲き程度の木もあり、車窓からの花見を楽しんだ。気象庁によると、東京の桜は全国で最初に満開になったとか。
桜の季節は西行でなくとも気が揉める。
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