金春会 定期能 10月01日
国立能楽堂於
秋一番、久々の能鑑賞でこころ晴れ晴れとした。
中庭の萩の大木が一本、見事に枝垂れ花を優美に咲かせていた。
「枕慈童(まくらじどう)」
魏の文帝の命で、臣下が流れる薬水の源と思われる山奥を訪ねると、菊の咲き乱れる庵に住む慈童に出会う。
慈童は、周の穆王に仕えて、王の誤って枕を越えてしまい、罰として追放された。が王の温情で仏徳を讃える偈を記した枕を賜り、その偈を菊の葉に書き写すと、葉に集まった露が薬水となった。その薬水を飲んで不老不死となったと語る。
周の時代は700年も前の事。慈童は700歳だ。慈童は「楽」の舞を菊の花に戯れるように軽快に舞う。
(重陽(旧暦9月9日)には菊花の酒を酌み交わし、長寿への願いとそのめでたさを込める。日本酒に菊水と銘した酒があるが、この故事に因んでいよう)
狂言 「萩大名」
大名が太郎冠者のすすめで、とある茶屋の庭の萩の花見に出かける。和歌の好きなここの主は大名に歌を所望する。
がこの大名、物覚えが悪く、太郎冠者とのやりとりが、愚かしさと無邪気さで笑わせる。
「花筐(はながたみ)」 世阿弥作
(*筐(かたみ)とは編み目の細かい竹籠のこと)
越前味真野の大迹部皇子は皇位を継ぐことになり都に上るにあたって、寵愛していた照日の前に別れの文と形見の花筐を届ける。
悲しんだ照日の前は里に帰るも、やがて物狂いとなって侍女を伴い都となった大和国玉穂を目指す。そこで継体天皇となった皇子の紅葉狩りの行列と遭遇する。
護衛が照日の前の持つ花筐を打ち落とすと、照日の前は皇子からの賜りものだと逆に護衛を咎め、曲舞を舞う。
帝は花筐をみて狂女が照日の前だと気づき、宮中へ伴い帰る。
(皇子や帝は恐れ多いので、子方(子役)が務める。子役が何もせずに1時間じっと座っているのはたいへんだ)
「融(とおる)」 世阿弥作
(*源融は嵯峨天皇の十二皇子。帝位につけず不遇だったが風雅にいきた人物。光源氏のモデルで、実際に六条河原院の庭の塩田はあった)
旅の僧が都の六条河原院で汐汲みの老人とであう。老人は、融の大臣が昔、河原院に陸奥塩竃の浦を模して庭を作り、難波浦から運んだ海水で塩焼きをし、数々の遊びをしたと語る。そして、問われて都の名所の山々を指さし教え、田子を担いで汐を汲むと姿を消す。夜に融の霊が在りし日の華麗な姿で現れ、懐旧の思いで「早舞」を舞い、紀貫之の歌「君まさで煙絶えにし塩竃のうらさびしくも見えわたるかな」を歌い、月の都に帰っていく。
能は日本の素晴らしいこころの形を現している。
何度観てもこころが静まり、また心沸き立ってくる不思議がある。
そしてまた、鑑賞後のつれづれなる話を、菊水ではないが美味しい酒と肴で交わす赤坂の夕べがまたこの上なく愉しいものだった。
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