エーブリールフールではない。久々に能の鑑賞が出来た。東京の桜は既にほぼ散ってしまっていたがね。
能は何と心満たされる事か、心落ち着く事か。
いつもの金春会定期能。国立能楽堂 にて。
「小鍛冶(こかじ)白頭(はくとう)」
一条の院に仕える橘通成が、三条の小鍛冶宗近に剣を打つようにとの天皇の命令を伝える。が、宗近は相槌をする者がおらず、困って氏神の稲荷明神に参詣する。すると童子(前シテ)が現れてヤマトタケルが野火に囲まれるも草薙の剣で草を薙ぎ払って敵を征伐した神話などを語り、宗近に剣を打つ準備をして待つように告げて消え去る。
宗近が支度を整え祈ると、霊狐(後シテ)が現れ、宗近の相槌をし、打った剣「小狐丸」を勅使通成に奉げると雲に飛び乗り稲荷の峰へと帰っていった。
後シテの白頭と小狐を思わせる面がたいへん神秘的である。
「酢薑(すはじかみ)」 狂言
薑(生姜)売りと酢売りとの、「カラ」と「ス」との語呂合わせで、誰が一番かを競う可笑しさ。
「楊貴妃」
安禄山に殺された楊貴妃を思って仕事も手に着かない玄宗皇帝は、使いを出して妃がどこにいるか探させる。使いの方士は常世の国蓬莱宮で貴妃と出会う。貴妃は一人寂しく過ごしていた。形見に玉かんざしを与え、皇帝と交わした愛の言葉「比翼の鳥」「連理の枝」など話し、合った証拠にするようにという。
そして序の舞を踊り、一人また寂しく宮に残る。
貴妃の面(増女)の美しさが格別だ。
仙宮に寂しく残る貴妃の哀愁漂う風情が悲しい。
「通小町」
八瀬の山里で夏を過ごす高僧の下に女がしばしばやってくる。女は木の実を捧げて木の実尽くしの歌を謡うと、小野小町の霊であることをほのめかせて消え去る。僧は市原野に小町の墓があることを思い出し、市原野に出向いて小町の供養をする。
すると小町の霊が現れて成仏を願う。さらに、生前小町に恋をしていた深草の少将の霊(シテ)も現れ、百夜通いの様を再現して見せ、僧の弔いにより共に成仏する。
少将は九十九夜で焦がれ死んでしまったのだ。
能は、古くの伝え、歴史などを題としていて、その意味を知っていれば大変感慨深いものとなる。私はだから詞章を手に入れ、予習をして鑑賞に臨んでいる。
最初から最後まで眠っている人もいるが、夢幻能と言って、それもそれでよろしいのである。
この能に連れて行って下さる方の言葉は、「能はこころで観る」ものと。いい教えだ。
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