奈良・京都の旅
西山連峰のたおやかな稜線のもと、竹林や森に囲まれた粟生(あお)の里に佇む寺。
法然上人が開山一世。1198年創建に尽力したのが「平家物語」や「能」、謡曲の「敦盛」に登場する熊谷次郎直実である。
戦乱の世に生きた直実は自らの罪の深さに慄き、法然上人の「どんなに罪が深かろうと、念仏を一心に申せば必ず救われる」とのお言葉に、その場で出家し、熊谷蓮生法師として念仏一筋に暮らした念仏三昧院が光明寺の前身である。
「鬼平犯科帳」などの時代劇の撮影現場に使われている。鬼平は江戸のはずだが?!
御影堂
1753年再建された当山中心のお堂。
ご本尊は、法然上人自作の「張り子の御影」。これは、法然上人75歳のとき四国に流罪になり、弟子の願いにより大切にしていた母君からの手紙を張り合わせて自らの姿を像に作り形見としてあたえたもの。
御影堂の前に法然上人立像。
お堂から前を観る。
御影堂の内部をぐるりと。
釈迦堂辺りに出てきた。
とても広大なお寺なので、すべて観るのは無理である。閉まっているところもあり。
いずれにせよ、限られた短時間でのお参りはきりがある。
せめて1日かけてゆっくりとしたいものだ。
紅葉鑑賞に目を向けた。
床紅葉で名高い寺でもあるから。まだちと早く、床紅葉とまではゆかなかった。
紅葉参道。
次は、
秦氏の祖霊として711年に創建された。
全国に3万社ある稲荷神社の総本社。
五穀豊穣を祈る神。
イナリ、伊奈利から827年に稲荷と勅書にも書かれる。
弘法大師との関係も伝わる。
狐との関連は、中国に伝わる狐の寓話なども取り入れられてきたのか。
壮大な楼門。
この赤い鳥居の行列は圧巻!
千本鳥居、いや千本では足りない!!!
それぞれに皆本殿に向けて名前を書いて奉納している。
実はこれから先も鳥居が並び、さらに奥の稲荷山頂まで行くのが本筋だが、2時間はかかるとのことで、断念した。
境内全体図の看板。われわれはほんの初っ端だけ。これでも1時間はゆうにかかった。
本山への入口で拝む。
帰り道
ここも物凄い数の詣で客。
圧倒的にアジア系外国人。こんなにお稲荷さんにお参りしているのだから大金持ちになるのかな。日本人はお参りの暇無く働いているのかな。
次は、
渡月橋は人でいっぱい。瀟洒な橋が崩れやしないかと心配になる。
渡月橋は大堰川「保津川」にかかり、橋の下流は「桂川」である。
保津川両岸
嵯峨野に入る。
ここも大賑わい。
嵐山駅
天龍寺入口
この寺も物凄い人混み。庭を観たかったが止めた。
下の庫裏の写真のみ。
庫裏
法堂(はっとう)
ここは空いている。
天井に、かつての絵は損傷が激しく修復不可能であったため、現代の日本画家加山又造が描いた「雲龍図」がにらみをきかせている。
直径9mの円相の中に、八方睨みの龍だ。迫力抜群。指は5本あった。
次は、
言わずと知れた通称天神様の本家。
元は、京都御所の北西の北野は北極星が輝き天のエネルギーが働く聖地とされ、天地すべての神を祀った大極殿があった。
そこに947年、菅原道真を祀ったのである。彼は文武に長けていた。
現在も学問の神、芸能の神として慕われている。
♪♪ とおりゃんせ 通りゃんせ
ここはどこのほそみちじゃ 天神様のほそみちじゃ
ちっととおしてくだしゃんせ ごようのないもの とおりゃせぬ
この子の七つのおいわいに おふだをおさめにまいります
ゆきはよいよい かえりはこわい
こわいながらに とおりゃんせ とおりゃんせ ♪♪
だったかな。
菅原道真といえば、大宰府長官に左遷されて、うたった歌。
東風吹かば 匂い起こせよ 梅のはな
主なしとて 春な忘れそ
楼門
社殿
社殿側面
地主社
国宝殿拝見
多くの名刀が展示されていた。
菅原道真は文武に長けていた証か。かなりの武人などから奉納されている。
北野さんには多く牛が祀られている。牛は祭神の使いとされ、菅原道真を乗せたり守ったりしたとの言い伝えがある。
一撫ですると一つだけ願い事が叶う一願成就のお牛さん。
1587年、大公秀吉がここで大茶会を開いた。
その折に掘られた井戸。
さて、全ての行程を無事クリア。
お世話になった皆様有難うございました。
[完]