亡くなって初めて、ドナルド・キーンさんの素晴らしさ、凄さを知った。
生粋の日本人以上に日本文学に魅せられ学び、共に過ごした人なのだ。こうした日本人はいまだいない。
と同時に、海外に日本文学を広く知らしめてくれた。その功績は図り難い。日本の多くの文学作品を英訳。それを各国の日本研究者が多言語でさらに翻訳し、世界に広まる。そして、英国の世界文学辞典に、日本文学について数ページに渡り記述しているという。ノーベル文学賞選考などにも彼の翻訳あったればこそだったのだ。
彼が日本文学に初めて接し感動したのが戦中、英訳だが、『源氏物語』。そして、米海軍で日本語を学び、日本語専門官として日本軍人の日記を読むこととなる。もちろん戦略的に日本の機密を探るため。米軍では日記など書く事は厳禁。日本軍は入隊すると軍から日記帳が支給されたそうだ。この違い!
戦後から、こうして日本に伝統的にある日記文学を悟り、日本文学にのめり込む。
もともと語学の天才。何か国語も理解していた。だから、我々日本人が読めなくなっていた古文、行書や、明治時代の書き様、戦地で書かれた日本語の綴りなども理解できたのだ。
ちょっと日本語ができる外国人などではない。
数年前の事。国立能楽堂で2度、お見受けした。若い頃の写真しか知らないので定かではなかったが、正面最前列の真ん中に座っておられた。想像よりは大柄、かなりの高齢と見受ける、普通に能を最前席で観る、これはキーンさんに違いないとした。彼は日本の芸能、浄瑠璃、能、歌舞伎にも通じていた。狂言は自身演じもしていた。
『日本文学史』や、『明治天皇』など、日本人ではなかなか書けないものも見事に取り組み、ものしている。
日本人で在りながら日本について日本文学について、何も知らないでいた自分が恥ずかしくなる。
もう一度、というか、彼の作品は読んだ事がない。インタビュー記事などでしか知らなかった。彼の書き残してくれたものをしっかりと是非読もう。
日本の宝である。
合掌
(19.02.27)
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