11月25日、AAR Japan「難民を助ける会」の親睦昼食会があった。
およそ100名の集いで、世界で難民を助けるという難しく厳しい支援活動をしているにも係わらず事務局スタッフや会員の和気あいあいとした集いであった。事務局報告や現地報告がなされた。
私はただの会員で年会費を収め、一度カンボジアでの支援活動のスタディ・ツアーに参加しただけだが、ほぼ20年くらいは会員を続けているかな。こうした報告会や総会に出席して支援活動の実際を学んでいる。
会は、現地スタッフはじめ多くの方々の努力でこれまで60を超える国・地域で支援を展開してきた。現在15か国で活動中。
日本は難民に縁が遠いと考えがちだが、創設者の相馬雪香さんは満州からの引揚者で、当時日本の人口が7000万人で引揚者は60万人に達したという。まさに難民であったのだ。だから、日本人の難民が作った世界の難民を助ける会と紹介されたこともあったという。
その相馬さんが思っていたことは、早くこの会を終わらせることだったという。つまり、1979年にインドシナ難民支援を目的に発足したが、こうした会が要らない世界にしたかったのだ。
それが今日は難民増加の一途をたどっている。各地で紛争が勃発している。何たる人類世界であるか。国際調停などという効力が効かない世界になってしまってきている。
3歳で難民としてベトナムから避難してきた女性が今日は一支援者(会員)として参加したことを事務局員が発見、大きな拍手を浴びた。既に40歳近いはず。日本人と結婚して、海外でも仕事をしているらしい。その彼女のスピーチで「"日本"とは世界で有数の"ブランド"」だという言葉が実感として響いた。日本人はそれに気づかずに、武器を持った国々との調停役でなく、戦力を合法化して戦おうとしている。日本は世界で平和を表すブランドであるはず。世界各国の意思ある人々はそれを期待しているのである。
AARは、私たちの寄付金が他の手を通さず、直接難民の方々に届く、数少ない団体である。日本にとっても外国にとっても貴重な組織なのである。
今回、事務局から会員に感謝するとの旨多々あったが、私は事務局内外スタッフのいわば命がけのボランティア精神での活動に少しでも慰労と感謝の気持ちを伝えたく出席したのだった。
豊かで表面的には安穏な暮らしをしていて罪悪感すら覚える。
(17.11.26)
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