4月6日に、成田発のカンタス航空でオーストラリアのパースに発った。
前日に旅行社より連絡が入り、パース直行便だったが、香港で乗り継ぎになったという。
理由は、オーストラリア政府の指導で東京及びその周辺への渡航はレベルが上げ「禁止」となったためという。つまり我々の乗るべき便は香港まで来て待っているということだ。同じカンタス航空の香港経由シドニー行きに乗ったのだが、こちらは「禁止」指導が出る前に成田に来ていたのか??
成田空港は、人気はガラガラで、照明も暗い。レストランも午後8時には大方閉まってしまった。
店員に聞いたら、地震と共に、大勢の中国人の脱出が始まった。凄い行列だったという。
他の国の人たちもそれに続き始めた。
そして、便も欠航が多く、日本に来る人がいなくなったと。
従って、機内はいずれもガラガラ。
ポツンポツンとしか乗客がいない。
帰りも同様だった。
パースでは通常に入国が出来た。
日本からだと特別にガイガーカウンターで調べられることもなかった。
現地の人々から巨大地震や原子力発電所の被害について聞かれることもなかった。
11日に帰国したが、これも勿論直行便ではなくなり、香港で乗り換えとなった。
乗務員に聞いたら、政府の通達で成田には行けなくなり、東京での買い物を楽しみにしていたのにと、我々乗客を安心させるような話しぶりだったが、カンタス航空は乗務員組合が強いというか福祉が行き渡っているというか。
パースからの乗務員は香港で全員戻るとのことだった。
成田に11日夜7時に到着したが、鉄道の駅に出たら、5時頃の震度6の地震のためJRは大幅に遅れ、京成線は運行されていなかった。
幸い直ぐに来たJR快速総武横須賀線に乗れた。かなりの混みよう。
と、私は小さめのキャリーパックだったのだが、座っていたインド系のような若い女性が席を譲ってくれた。外国人系のひとは彼女一人のようだった。「隣の駅で降りますか?」と聞いたが曖昧なでもほほえみながら譲ってくれた。有り難く座らせてもらった。
その夜も余震があり、12日の朝方にまた強い震度5の地震があった。
地震の全くないと言うオーストラリアのパースで元気をもらってきたつもりが、かえってきたらさらに酷くなっているようで、地震大国を再実感し、また怯える日々が続くのかと観念。
こうしている今も、千葉市は震度3の揺れである。
(11.04.12)
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