悦子の談話室

熊本大震災

     
 

感情移入の激しい私は、テレビは見られない。恐ろしいから。無残だから。
東日本大震災の記憶が過ぎる。熊本、大分に津波がこなければいいが。
日本列島は地震の巣の上にあるとは知っていても、何の手立ても施されないでいる。現代科学では予想不可能と学者も言う。忘れた頃にやってくる、ただただ自然の猛威、脅威を思い知らされるばかり。

各地から善意の援助の手がさしのべられている。被災者にしてみれば一時有り難いことだろうが、それで救われるものではない。ただ空しく、恐ろしく、まだまだ何も考えられないだろう。そんな被災者や必死の自治体の係りの人々にインタビューのマイクを向けるマスコミの無神経さに苛立ちを覚える。
被災現地は、電気が止まり通信手段も滞りで、自分たちのところで何が起きているのか把握出来ないでいように。外国人観光客はどうしただろうか。
電気が点いていてテレビを見ながらあれやこれや言っているところは、遠く離れた無難な地だ。

昨夜から追い打ちをかけるように列島に春の嵐が吹き抜けている。
我が家の満開の八重桜、新緑の葉が美しい柿や楓と並んで配色がそれは見応えあるのだが、この大風に飛ばされて花びらを遠くまでまき散らしている。
被災された方々に、こころからのお見舞いを申し上げたい。

(16.04.17)

 
     

[悦子の談話室へ]

 

NewChibaProject