国民の側から新しい司法制度を考えて育てようという会が発足した。
今までは国の側からの司法だったが、これからは国民参加の国民の側からの司法を育てようという趣旨。
私も委員の一人として参加した。
司法とは社会の基本的ルールを明文化したものである、と私は考えている。
近頃は違法行為が多すぎる。
村上ファンド事件、ライブドァ事件、耐震偽装事件、偽造食品事件、痛ましい殺人事件、etc. etc. etc.
基本的ルールの根幹にはモラルがあるはず。
現社会には、効率、そして金至上主義がまかり通り、モラル、道義的ルラルが欠落し始めているのではないか。
人間として最低限ルールを守るというモラル、モラルを持つ人間を育ててゆかない限り、どんなによい司法制度を整えても、国民のためにはならないと考えた。
平成21年から「裁判員制度」が始まる。
国民参加の司法の実現の一つということだが、私は少し違うと考える。
全く司法を理解していない人を裁判員と指名して、国民参加の名を取って、それで正しい裁判が成るか。
裁判を国民のために正しく成すために、ブロフェショナルを自任する司法官を、国民を深く理解出来るプロとして教育し直し、裁判に当たらせることが、国民参加の裁判の本当の意であろう。
裁判員に指名されたら断れないと聞く。
私は指名されたら困惑するだろう。
あなたはどうしますか。
[掲示板]にご意見をどうぞ。
[掲示板]に寄せられた声
Re: 裁判員制度 吉田 良子 - 2006/06/29(Thu) 22:09 No.536 |
? |
|
|
裁判員制度、まるで政府広報のような意見になってしまいますが、私は、理想に近づいた良い制度だと思っています。法律解釈のプロである裁判官だけで人を裁くということはとても危険なことで、「法律ではそう決められているかもしれないけれど、だけど、何か釈然としない」という素朴な感情は裁判に反映されるべきだと思うからです。アメリカのように、陪審員だけで判決を出すというのは危険だと思いますが、日本の制度は法律の専門家である裁判官も加わっての判決ですから。
以上は建前論として、死刑判決のような重大な裁判が自分に当たりませんように・・・・と祈っています。「もしや、冤罪だったら」と苦しむような気がします。「これも国民の義務」と思っても。 |
(06.06.25)
|