悦子の談話室

園田天光光さん

     
 

わたしも新しく会員になったNPO法人JKSK(女子教育奨励会)のJKSKサロンで、園田さんにお目にかかった。

園田天光光という名は、亡母から聞いて記憶にあったのだ。

園田さんは、1949年に衆議院議員に初当選し、その年に同じ衆議院議員の園田直氏と結婚。国会のロマンスといわれたのだ。

3回当選を果たした。

小泉女刺客たちが誕生した今、彼女たちと園田さんの来し方を当然比較してしまった。

園田さんは、婦人団体、国際団体、人道支援団体など、実に多くの活動をなさってきた。頂いた名詞には、NPO育桜会理事長とあった。

ショート・スピーチは、あの有名な人形の話。

園田さんが小学校4年生の時、アメリカから日本の各小学校に人形が贈られてきた。寝かせると目を閉じ、起すとママと言う。可愛いので、校長先生に許しを得て替わる番こに抱かせてもらった。

そして、日米開戦。当然、人形は焼き捨てよとの政府の命令。

幾人かの校長は、そっと自宅に隠し持つ。

戦争が終り、園田さんが中心となって10人の主婦が集まり、それらの人形にごめんなさいという催しを持つ。

そして、多くの協力や1円玉寄付を募って、50カ国余りに、平和の使者として、子供のメッセージやパスポートを持った「大和太郎・大和花子」人形を、駐日大使夫人を通して配った。

返礼に、各国はお国柄のしのばれる人形を送り返してくれたという。印象的だったのは、躊躇して最後に贈ったイスラエルから一番に返礼の人形が来た。メッセージには、我々は心から平和を望んでいるのです、というもの。人形は、リックサックを背負った男女一対の子供の姿だったそうだ。

今、それらの人形たちが、園田さんの手元に保管されてあり、どこかに展示保管できるところがありませんか、お知恵を貸して下さい、ということであった。

園田さんは、たしか86歳とおっしゃった。

和服姿で凛として、お話がとても感動的で巧みであった。

さすが、女性議員の大先輩であられる。

(05.09.22)

 
     

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