悦子の談話室

大衆迎合

     
 

過日、ある会合でのゲストスピーカーの話を聞いて、考えさせられた。
彼はあるテレビ局の部長。話はコマーシャル報道番組作成の裏話というところだろう。そこでは全く制作のチェックがなされていないということだった。
だから今日日、どうみてもテレビ(や新聞も)真実味が危ういのか。政治やのコメントなど見ていられないのが実情だ。
私の経験では、NHKはオンエアー前に審査が入り、私の属した会社ではCMのいわばコンペがあり私はそれに立ち会ったものだったが。

例示の映像が流された。視聴者からのミス指摘の電話が多く1週間で中止したCM、これは名所と言われる海辺でリードなくして自由に愛犬を走らせているもの。報道番組中あまりにもお粗末な裏ダミーが流れてしまったもの、これは賞品例示に(だったかな)"セシウム"という名前が羅列しているもの。そして、報道写真でピュウリッツア賞をとったが非難の指摘が多くその写真家は自殺したとかいったものなどなど。因みにこの写真は題が「はげわし」。泥沼の中で瀕死の幼児を後ろからはげわしが狙っているもの。
かつて、"私作る人、僕食べる人"のフレーズが消費者から不興を買ったCMがあったが。

いずれも明らかに製作者のケアレスミスだったり、人としてのこころがなかったり、視聴者不在の制作現場あるのみ。そこにチェック機能が働かないとなるとこれは危ない。
かつてアメリカで取材した、「グッド・ハウスキーピング」誌は、広告申し込みがあった場合、取り上げる商品サービスは掲載する前に自社のテストキッチンでテストして、適ったものを自社の責任付きで取り上げるというものだった。
このテレビ局の部長は言う、今のテレビ界は視聴率を上げることだけが目先にあるのだと。犬のリードがついていないなんて許してよー、という。が、話題性のみに明け暮れずに、物事の大小に関わらず、誠実に真実を追いそれを世間に現していくというマスコミの本来の姿勢が今や欠けていやしないか。視聴者に甘えていないか。視聴者は生活者としての厳しい目をもっているのだ。
視聴率競争にのみ明け暮れれば、それはこころのない数の世界であり、理念理想のない、安っぽい今の政治の世界でいう大衆迎合に他なるまい。いやマスコミが大衆迎合の報道姿勢をとっているので、政治の世界もそれにつれて大衆迎合を増幅しているのだ。今や政治の報道も見る気がしないが。
マスコミの、世間に与える影響は大きいのだ。いや、今は、ITかな?!ツイッターかな?!
マスコミやツイッターの情報に流されない、自分自身の理念、哲学、心情、ものを見る目、などといったものをしっかりと身に着けていたいものである。
視聴者は、嘘で固めたまやかしより、真実を知りたいのだ。その制作努力が滲み出るいい番組もあるのだから。

(17.04.26)

 
     

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