定刻に到着。
タイ航空のスチュワーデスさんから綺麗な蘭のコサージュをいただく。
アナウンスで、成田の気温は7℃とのこと。
35℃のところから、7℃はキツイ。
私は荷物は手荷物だけなので、すいすいと空港をでることが出き、ジャケットを羽織る。
みなさん、お世話様でした。
今回の旅は、海外支援のスタディーツアーであり、呑気な物見遊山とは違った。
悲惨や、危険な現場見学と、37℃という暑さのためか、心身ともに疲れた。
そんな中、ボランティア活動を展開しているみなさんには心から感服した。
1979年 ベトンム軍進攻でKR敗走。
親ベトナムのプノンペン政権擁立。
以降、プノンペン政権と民主カンボジア三派連合(KRに王党派、共和派が加勢)の内戦。
1991年 パリ平和協定。
(92〜93年、わが国初の国連PKO実施)
1993年 国連監視下で選挙。王党派フンシンペック党勝利。
新憲法で王制復活。ラナリット第一首相(王党派)、フン・セン第二首相(人民党:旧プノンペン
政権)の2人首相制連立政権。
1997年 ブノンペンで両首相陣営武力衝突。第一首相失脚。
1998年 総選挙。
第一次フン・セン首班連立政権。
2003年 総選挙。
2004年、第二次フン・セン首班連立政権発足。
2004年 シアヌーク王退位。子息のシハモニ新王即位。
日本は、対カンボジア援助の3〜4割りをになっている。
06.03.20.にも国際協力銀行は、カンボジア・シアヌークビルに経済特区を建設する費用の一部として
3億1800万円を貸し付ける円借款契約をむすんだと新聞に報道された。
しかし、政治は腐敗しきっているようで、ガイドさんが話してくれたところによれば、公務員は全員
アルバイトをしていて、出庁していないひともざらだと聞く。
教師だけはアルバイトができないので、生徒たちが全員毎日何がしかのお金を先生に手渡している。
黒板に書かないで早口に教え、そのコピーを有料で分けるという手を使う先生もいると。
支援は、「難民を助ける会」のようなNGOを通してくれれば、しっかりそのまま有効に伝わる。
政府を通してでは、途中で役人の袖の下に入ってしまい、目的まで届かない、との話しは
痛切な思いとして聞いた。
38歳のそのガイドさんは、日本に観光経営の勉強にきたことがあるとのこと。
彼が私に静かに語った顔は悲痛だった。「日本のような国に、カンボジアは成れないかもしれない。
リーダーがいないから」
「そんなこといわないで、あなたが、友達と少しづつ力を尽くして、いい国をつくらなきゃ。
頑張って
」としか言えなかった。
私たちが帰国して直後、06.04.01.の新聞に、私たちがまだカンボジアにいた03.28に、ガイ氏が、
カンボジアの人権問題担当であるが、視察の結果記者会見をして、「一人の個人に権力が集中し、
判事や政治家もおびえている」と述べ、首相の独裁振りを批判したと載っていた。
これに対し、フン・セン首相は激怒し、アナン事務総長にガイ氏解任を要求したと。
いまだに続くこの国の国政の不安定さ。
まだまだ続くのかも知れない。
[完]
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