ドレスデンを発ってポツダムへ
ホテルの前から。
どこからでも教会が見える。
前庭に咲いているバラ。
ホテル内に飾られているポインセチア。
お馴染みのアウトバーン。
13号線でベルリン方面へ出発。
このあたりはカーブで危険のため、130kmの制限。
またまた風力発電!!
ちょっと数えて数十基。
風力発電の取り組み、ドイツは本気のようだ。
緑の党がまだ頑張っているのだ。
というか、一般的になってきたということか。
風力発電と変電所。
一方ガソリン価格はとみてみると、1.1ユーロ/リットルでした。
風力発電と送電線。
バスからポツダムの街並みを撮る。
ツェツィーリエンホーフ宮殿へ
湖があり、その向こうはもうベルリン。
緑に囲まれた街。
但し今は冬枯れ。
ツェツィーリエンホーフ宮殿
林の中にあり、目立たない。
第二次大戦戦勝国のアメリカ、イギリス、中国、ソ連の首脳が集まり、戦後処理のためのポツダム会談をここで開いた。
チャーチルは準備段階では出席していたものの、国内選挙に敗れたため、ポツタ゜ム宣言には著名していない。
この宣言は1945年7月に発せられ、ドイツ(オーストリア)はソ連を含む戦勝国管理下におかれた。
日本は聞き入れず、8月6日に広島、9日に長崎に、原子爆弾を投下された。
ハンブルグからずっと咲いていた花?
白い小さな綿花のようだが。
とうとう名前が分からなかった。
ここはホテルとして一般に開放している。
塗り替え中。
正面
この中は資料館、博物館として、会談のままになっている。
歴史の教科書に出てくるポツダム会談の模様が、各国の力関係、駆け引きなど、どの部屋を自国の本部として使うかなどで、伺い知れる。
写真も生々しく残っている。
ヴィルヘルム皇太子とツェツィーリエン妃のために建てられた。
敗戦直前までここで暮らしていた。
広い前庭。
近くの湖。
サンスーシ宮殿
1745年、プロイセン国王フリードリッヒ大王が夏の離宮として建てた。
無花果、葡萄、桑などの段々畑だったところを宮殿にした。
入り口付近
赤い実が。
何の実と聞いたら、植物は苦手という若い女性のガイドさん、「ベリー」と一言。
宮殿の風車
麦を挽いていたとか。
宮殿付近の案内図
宮殿に入った。
この女性がガイドさん。
森鴎外もいたベルリンのフンボルト大学日本語学科卒だけあって日本語は上手。
長い足で闊歩するものだから、われわれのちょこまかがなかなか追いつかない。
手前にある柵のようなものは、葡萄の並木。
宮殿のあるレベルのテラスから一段下がったところから撮る。
このテラスが5段ある。
春夏の緑の頃はそれは見事であろう。
宮殿前に広大な庭園が広がる。
フリードリッヒ大王の墓。
ローマ文化にあこがれた王は、裏門からずっと奥に見えるように、ローマの廃墟のフォロロマーナ風の廃墟を作った。
車窓からポツダムの街並
ベルリンに向かう。
14:50。
アウトバーンは中央分離帯がはずせられて、飛行機の滑走路になるのだ。
ここは違うよう。
アウトバーンには、BMWやメルセデス、アウデーがやはりよく似合う。
勿論われわれの観光バスもメルセデス。
何故か道路に面しているスタジアムのスタンド。
カイザー・ヴィルヘルム記念教会
ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世を記念して1895年に建てられた。
1943年の空襲で焼け落ちた。
そのまま碑として残し、隣に近代的な教会を1961年に建てて、教会の遺品や戦後の写真などを展示している。
ベルリン市のマスコットは熊でしたっけ。
交叉点には大勢の人並み。
ジーゲスゾイレ(戦勝記念塔)
塔の上には勝利の女神ビクトリア。(バスの中からでしたので、ちょん切れちゃいました。失礼)
デンマーク、オーストリア、フランスとの3度の戦争での勝利を記念して、1865年から8年かけて建てられた。
これは何処だったかな。
これも何だったっけ。
これは?
ブランデンブルグ門が見えてきました!
テレビ塔がビルの合間に見えます。
東ドイツ建国20周年を記念して1965年から4年かけて建造された。
ブランデンブルグ門
1791年プロイセン王国の凱旋門として建てられた。
門の上は、4頭立ての馬車にのる勝利の女神ビクトリア。
戦勝記念塔と同じだ。
戦災にあい、敗戦後東西境界線がここに敷かれる。
22ヶ月の修復作業で蘇る。
統一後はベルリンのシンボルに。
西側からの眺め。
東側からの眺め
東側に伸びる通り。
交叉点真ん中に見える線状のものがベルリンの壁のあったところ。
東側から門を潜ります。
西側にきました。
門の直ぐ前にあるホテル・アドロン
1907年に開業。第二次大戦で焼失。
東西統一に伴い1997年当初の姿によみがえった。
ベルリン随一の高級ホテル。
チャプリンやデートリッヒの定宿。
昨今ではマイケル・ジャクソンが子供を窓から出してみせて、はらはらさせた。
イギリス大使館前
ユニオンジャックが翻っているが、車は通れないようになっている。
物騒だ。
ベルリンの壁
一部記念に保存されている。
西側には落書きがたくさんあり、東側は真っ白だった。
現在は東側もきれいに落書きされている。
ベルガモン博物館
B.C2世紀頃小アジア(今のトルコ)で栄えたギリシャの植民地都市ペルガモン(トロイの近く)の発掘品「ゼウスの大祭壇」のみならず、古代ローマの植民地都市ミレトス(ペルガモンの南)の市場門、そして西南アジア(今のイラク、イラン辺り)で栄えたアッシリアの宮殿、バビロンの行列通り、などが実物の出土レンガを使ってスケールも大きく、複製されている。
また出土品も多く展示されている。
博物館島にある。
橋を渡ってつきあたりがベルガモン博物館。
ペルガモンのゼウスの祭壇
ゼウスと巨人族との闘い。
女神アルテミスと巨人族の闘い。
写真右側撮ってないところにアルテミスがいます!
アルミテスは右端倒れて瀕死の巨人を踏みつけ、アルミテスの番犬が巨人の首を噛み切っている。
その左の若い人間の姿をした敵は、アルミテスの弓にたじろいでいる。
ペルガモン街の模型図。
右側にゼウスの祭壇か。
ゼウスの祭壇の模型図
西南アジア博物館の
バビロンの行列通り
アッシリア、シュメール、バビロニアなどの出土品
ペルシャ王ダレイオス(B.C.521〜486)の護衛の槍持ち
バビロンのイシュタル門
イシュタルとは敵を征服する女神。
ライオンはイシュタル女神の聖動物。
この建造物の資料は、ロンドンに収蔵されている王の石灰岩板碑文で読みとることができる。
(作家アガサ・クリスティーの二度目の夫はこの辺りの発掘調査をしていて、アガサもよく同行していたらしい!!)
モザイクの床
素晴らしい展示に、興奮冷めやらぬまま、とっぷりと暮れた外へ。
博物館島の夜。
手前からペルガモン博物館、ボーデ美術館とならんでいる。
博物館島はシュプレー川の中州。
国立オペラ座
中に入って、チケット売り場をパチリ。
2階のバルコニーというか通路にはこうした立派な像が。
いずれ名のある人物です。
オペラ座の前の通り。
この像も大王か誰かでしょう。
向こう側はフンボルト大学。
隣には屋外スケートリンクが。
その向こうには、クリスマス市が賑わっている。
オペラ座前に白馬の二頭立て馬車も。
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