わたしは2度目です。
感慨ひとしおです。
その前に。
予約の時間10:00の前に到着したため、近場の見学をします。
イサク広場
イサク聖堂の正面にイサク広場が広がり、中央にニコライ1世の騎馬像が建つ。
ニコライ1世(在位1822年〜1855年)時代の歴史が台座に刻まれている。
彼は専政体制を強め、1825ねんに農奴制や専政打倒を掲げたデカブリストの乱(貴族・将校らの反乱)が起きるが鎮圧する。その後も革命運動の鎮圧に力を入れ、クリミア戦争で対トルコばかりか英、仏を的に回し、彼の治世の30年間でロシアは近代化に大きく遅れをとった。
超豪華<ホテル・アストリア>
ニコライ1世の真後ろに<マリンスキー宮殿>
ここはモイカ川に大きな橋が架けられている。
右端にオベリスクが見えるが、この横線のところまで川の氾濫で水位が上がった。
向こうにマリンスキー宮殿に並んでアメリカン・メデカルセンターなどがみえる。
<イサク聖堂>にて。
イサク聖堂は明日内部も見学。
<デカブリスト広場>
旧海軍省と旧元老院の間で大ネヴァ川沿いにある。
元老院広場と呼ばれていたが、1825年のデカブリストの乱があったため、革命後はデカブリスト広場と言われる。
大ネヴァ川を望む<青銅の騎士像>
1782年にピョートル大帝の後継者を自認するウカテリーナ2世が建てた。
「エカテリーナ2世からピョートル大帝へ」と刻まれている。
台座はエカテリーナ2世がフィンランド遠征の時に気に入った一枚岩を持ち運んで作らせた。
馬が踏みつけているのは大蛇。
何の象徴か忘れた。いずれ踏みつけられるべきものを現わしているはず。
大ネヴァ側沿いに、右側向こう側にエルミタージュ宮殿から繋がる宮殿橋を見て、その先赤い塔はロストラの灯台柱。
左側にクンストカメラ(ビョートル大帝記念人類学・民族学博物館)。
さらに遠くに<ペトロバヴロフスク要塞>が見える。
いゃァ〜、長いリムジンだこと。
昨日は何だか大がかりな卒業式の日だったとかで、今朝もまだ大騒ぎの後があちらこちらで。
その流れか。大ネヴォ川沿いに。
反対の左側、こちら側がフィンランド湾に通じる。
* ロシアのヨーロッパ化を強く願ったビョートル大帝は、海に憬れ、フィンランド湾に出る事の出来るこの沼地をヨーロッパ的に開発し、干拓して都市開発を進めて、首都をモスクワからこのサンクト・ペテルブルグに遷都した。
革命後、首都はモスクワに戻された。
さぁ、時間です。
エルミタージュ美術館へ。
フランス語で「隠れ家」を意するエルミタージュ。
エカテリーナ2世はここを隠れ家として、啓蒙思想家らとの付き合いにこころを休め広めていた。
最初はエリザヴェータ女帝により冬の宮殿として建築された。完成は1762年。
継いで、エカテリーナ2世が1764年ベルリンから225点の美術品を購入して以降、猛烈な蒐集が始まり、その保管庫として小エルミタージュ、旧エルミタージュを建てる。いわばエカテリーナ2世の遺産が中心。
その後ニコライ1世は新エルミタージュを建て、このころより公開が始まった。
革命後、冬宮も含めて美術館として現在の姿となる。
正面、宮殿広場。
逆光ですみませんね。
旧参謀本部がぐるりと囲む広場。
ナポレオン戦争に勝利した記念に、アレクサンドル1世をモデルにした天使が十字架をもつ像が掲げられている。
円柱は1本岩の花崗岩で、1834年に作られた。
帝政ロシアの象徴。
正面
入場者の列。
この列に並んだ時だったかな。
「日本からですか」と流ちょうな日本語で話しかけられた。
どちらからですかと聞くと、日本の何処かとのつもりで聞いた。
「サンパウロです」と。
きょとんとしていたのか、「2世です」と。
そう言えば南米の人たちのグループにいた。
「日本は大丈夫ですか」と、心配そうに。
被災地は大変だが、大丈夫です! と言うと、安心したようだった。
15年前に和歌山県に行ったことがあるとのことだった。
素敵な奥さんは3世だという。こちらは日本語はもう出来ない様子。
どうぞ上手な日本語を大事にしていて下さいと話して別れた。
入場です。
大使の階段(ヨルダン階段)から。
無数の外国使節、大使らを迎えた正面階段。
ロマノフ王朝の威力を示して余りある。
天井
踊り場
ぞくぞくと現代の観光客たち。
ここまで大使の階段。ほんの入り口といったところ!
登りつめて、控えの間。
外を望む。大ネヴァ川の向こうにペトロバブロフスク要塞が見える。
2階。
ピョートル大帝の間
ピョートル大帝の間。
ピョートル大帝の栄誉を讃えるためにつくられた小部屋。
玉座の後ろの絵はピョートル大帝と女神ミネルヴァが描かれている。ミネルヴァは勝利の女神でしたっけ。
紋章の間
ブロンズ製のシャンデリアにロシア各県の紋章がデザインされている。
かつては戦士たちの彫像も飾られていた。
1812年祖国戦争の画廊
英雄クトゥーゾフを中心にナポレオン戦争に参加した300人の将軍たちの肖像画。
空いているところは戦士のため肖像画を描けなかった人物のスペース。
大玉座の間
歴代皇帝の謁見の間。
玉座の後ろはロマノフ王朝の紋章である双頭の鷲が描かれている。
床はモザイク画が敷き詰められている。
天井のシャンデリアは、蝋燭でなくもともと電球だった、かな?
入り口の孔雀石の大花瓶。
パヴィリオンの間
もとは4部屋に分かれて、エカテリーナ2世の寵臣たちが暮らしていた。
最愛の寵臣、というか最後には内々に結婚したともいわれるポチョムキンが、エカテリーナ2世に贈った「孔雀の時計」
今でも正確に時を刻んでいる。
床のモザイク画。
天井画。
涙の滝、噴水だったかな?
外を望んで、しばし休憩。
イタリア美術の展示場
ダ・ヴィンチの間
リッタの聖母
レオナルド・ダ・ヴィンチ
1490年頃作。
これはなんだったかな?
扉は確かだ。
後悔するマグダラのマリア
ティツィアーノ(1488〜1576)
ダナエ
ティツィアーノ
渡り廊下の間と言おうか。
あまりにも立派
下は運河。
ラファエロの回廊
ヨファエロの手によるヴァチカンのフレスコ画が壁一面に模写されている。
ラファエロの間
コネスタビレの聖母
ラファエロ
聖家族
ラファエロ 彼は37歳で死亡。
ミケランジェロ作。
リュートを弾く若者。
カラヴァッジオ 1595年。
右から見るのと、だんだん左へ移動すると奥行きが違って見える。面白い。
アントニア・サラテの肖像
ゴヤ
ダナエ
レンブラント
この絵は、1985年観客に硫酸をかけられた。
完全に修復は不可能。
以降、液体や長い傘の持ち込みが禁止された。
放蕩息子の帰還
レンブラント
賓客が必ず記念写真を撮るところで、私も。
その反対側の小部屋で。
ヨーロッパ近代美術
ジャンヌ・サマリーの肖像(ルノワール)
モネ
ゴッホ
ゴーギャン
さらに奥の間に進みます。
宮殿広場が望めます。
そして、私の最大のお目当て。
マチスを観ます。
ダンス
赤い部屋
さっ、エルミタージュ美術館とはお別れです。
次は郊外のエカテリーナ宮殿へ
1724年、ピョートル大帝が后エカテリーナに与えたプーシキン市にある。勿論后のために建てられた。
ここらには王侯貴族の夏の宮殿が多く建つ。
その後エリザヴェータ女帝やエカテリーナ2世によって改増築された。
正門
何故か外国人観光客だけ入れてくれる。
ロシア人は何時でも入れるからだそうだ。
因みに現在、ロシアは6、7、8、の3ヶ月夏休みだそうな!!!
入場します。
2階への階段壁に、東洋磁器をこのように飾っています。
2階の大広間。
ここで大黒屋光太夫がエカテリーナ2世に謁見し、帰国を許されたそうな。
外を望みます。
食道。
こちらが貴族用かな。
暖炉です。
また外を見てみます。
こちらは王侯用かな。
置物、果物、花飾り、全てこれ磁器で作られています。
マイセンだったかな。
これもマイセン。
こうして次々にお部屋が開かれていくのです。
多分この人だかりのしている間が「琥珀の間」でした。
残念ながら撮影禁止です。
壁一面が琥珀の細工で覆われていたのが、第二次大戦中、ナチス・ドイツ軍に持ち去られて行方知れず。
しかし、再現に努め2003年に完成。
以前にここに来た時は無残に剥ぎ取られ壊されたままでした。
この赤の飾り、実はアルミ箔をくしゃくしゃとしてのべガラスで覆っています。
当時はアルミは高価だったのです。
この緑の縦の飾りもアルミ箔。
エリザヴェータ女帝
エカテリーナ2世。
こうして部屋が次から次へと続きます。
階段を下りて終わり。
宮殿をでます。
宮殿の後ろには広大な公園が広がる。
浴場(エカテリーナ2世が療養のため入った冷たい浴場など)やエルミタージュ(エリザヴエータ女帝が大事な客をもてなした)などの建物もある。
エカテリーナ宮殿ともお別れ。
次は夕食前の運河クルージング。
生憎雨が降ってきました。
因みに、ロシア人は雨傘を余りささないそうです。
そう言えば、イタリア人も余り雨傘をささないと、須賀敦子の本で読んだ記憶があります。そのため彼女の夫は雨に濡れて軽い肺炎で死んでしまった…、確か…。
モイカ川の船着き場から乗船
この舟に乗ります。
ストロガノフ宮殿
美味しいビーフ・ストルガノフを発案した貴族の館です。
彼は高齢なので肉を柔らかく煮たためこの料理ができあがったとか。
エルミタージュ美術館とエルミタール劇場を繋ぐ橋のような廊下。
ネヴァ川に出て、うさぎ島を見る。
元は、ピョートル大帝はこのうさぎ島にペトロパヴロフスク要塞を建設し、サンクト・ペテルブルグの町の発祥の地とした。
当初から、川や運河に架かる30幾つかの橋は2つの石橋を除いて全て跳ね橋である。
つまり水路は重要な交通手段だ。
冬になれば凍ってその上をスキーではしる!!
ピョートル大帝の夏の宮殿
赤い建物は、KGB?
夜は長ーいです。
夕食の後、コザック民族舞踏を観に行きました。
ネヴァ川の近くのニコライフスキー・パレスにて。
コザックダンス特有の跳ねたり足を踏みならしたり、歌声、音楽も素晴らしく、楽しみました。
観客席に降りてきて観客を舞台に誘うのはどこも同じですね。
幕間に軽い食事や飲み物も無料で用意されていました。
ホテル帰還11:00。
ようやく長い一日が終わりました。
この調子で白夜を夜遊びしていると老体にこたえそうですな。
早々に、おやすみなさーい。
[海外旅行記]
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