能登の旅 三 その2

千葉ウィメンズ・フォーラム

遠足編「能登の旅 三」 その2

2日目

先ず輪島の朝市に行く。

その前に、別荘近くの景色の良いところでパチリ。
向こうには日本海が見える。
民家の屋根が朱色だが、本当は能登の家の屋根は黒瓦で、それがずっしりと豊かな風情を醸し出していた。この家は新しいのだろう。


輪島朝市


午前11時まで。その後は車道となる。
土曜日、いつもの大賑わい。売り手のおばさんとのやり取りが楽しい。


白米(しろよね)の千枚田
農業の世界遺産登録された。



揚げ浜式製塩の輪島塩田
(株)輪島製塩にて

500年前から能登に伝わってきた塩造りが揚げ浜式。



春から夏にかけて、朝早くから海水を汲んで砂地の塩田に撒く。
お日様の光と熱で乾いた砂を掻き集め、再び海水で洗い流して、カンスイと呼ばれる濃い塩水を採る。
作業をする人は、やといど(雇い人)と言われる。


やといどさんが実演して見せてくれる。
実際に試みることもできる。

カンスイを大釜に入れ薪でじっくりと炊きあげる。


長い行程でわずかに塩が取れる。
塩の結晶は四角い。
塩の結晶をイメージした四角い塩あんパンが美味しかった。

 

時国家(下時国家)

時国家の初代は、文治元年(1185年)能登に配流された、源平合戦で敗れた平清盛の義弟時忠
二代目時国が時国村をおこし時国家を構えた
天正9年(1581年)に能登は加賀前田藩領となり、その後慶長11年(1606年)には時国村の一部が越中土方領となり、二重支配を受けた。そこで寛永11年(1634年)十三代時保は時国家をニ家に分け、当人は加賀藩領に居を定めた。
この時国家(下時国家)は、加賀藩領の時国家である。いわば分家。
現在は二十四代当主が健在。

私は二度目の訪問となる。


先が曲がった木材を集めているのも見事。


巨大な大黒柱。
40坪の土間で年貢を徴収していた。


屋根裏に「隠し倉」がある。


御年八歳で二位の尼に抱かれて入水された安徳天皇を祀る「能登安徳天皇社」


庭園。

 

上時国家

時国家のいわば本家
初代は、平清盛の義弟平大納言時忠。平関白ともいわれ、平家一門の実質上の統領だった。源平合戦で敗れたが、神器の帰座の功によって特別の計らいで能登に配流され、この地で没した。
その子時国は、近隣の村々300石を統治し、館を構え、江戸時代には天領の大庄屋を務め、名字帯刀を許された。この頃の二十一代当主が現在に残る豪壮な屋敷を築いた。
何故この地が天領か疑問だったが、農業、塩業、回船業(北前船)などを営んだのだ。
二十五代当主が現在健在。


丸に揚げ羽蝶(平家の家紋)をつけた陣羽織。


金箔で平家の家紋を描いた襖。

大納言の間


大納言の間の天井。
大納言の格式を表わす縁金折上格天井
加賀百万石藩主は中納言だったため、天井に紙を貼ってから入室した。


大納言の間への見事な欄間。


夕食は牛のしゃぶしゃぶをご馳走になった。みごとな牛で、勝手に能登牛と思っていただいた。実際は、能登牛を飼育しているところも少なくなり、なかなか手に入らないそうで…。

帰り道、小狸が我々の車列を先導してくれたり、ハクビシンがじっとこちらを見ていたり、別荘の庭を狸が走り抜けたりして、野趣豊かにわくわくした!!!

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