掲示板に寄せられた声

千葉ウィメンズ・フォーラム

今年もどうぞよろしく。  投稿者: 朝(あした) 投稿日:2005/01/11(Tue) 13:01 No.162

 遅ればせながら、新年おめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 昨年末からお正月にかけて、しつこい風邪にやられて、関節痛、嘔吐下痢症、咳たん、と散々でした。 ようやくライフワークの「焼きもの」に復帰、三月の「陶芸工房 朝ASHITA展」に向けて頑張っています。
 第五回のスローライフの会ですが、残念ながら日程が合いませんので、欠席です。

 篠崎さんの「スローライフ日誌」楽しく拝見しています。日常をとらえるやさしい視線、柔らかな感性がいいですね。
 写真は、庭の蝋梅です。急に日差しが強まって、庭の花にメジロたちが集まってきます。「春」のきざしが感じられます。

 

Re: 今年もどうぞよろしく。 篠崎悦子 - 2005/01/11(Tue) 13:19 No.163 HomePage

朝さま
 今年もどうぞよろしく。
 風邪、災難でしたね。余り無理をせずに新年をスタートして下さい。
 スローの会、欠席残念です。次回を楽しみに。3月半ば、火曜日でしたらいいですか。
 3月の個展には何人かで伺おうと考えています。
 スローライフ日誌は自然体そのもので綴っています。まあ、こんなものです。
 蝋梅、いいですね。この香りが春を告げてくれます!
メジロもですか。いいですこと。



 

オーロラを追って  投稿者: 吉田 良子 投稿日:2005/01/11(Tue) 10:10 No.160
 

 1月3日から1週間、アイスランドに行ってきました。

 目的はオーロラです。過去に、カナダのイエローナイフで3日間の、アラスカのフェアバンクス及びチェナで同じく3日間のオーロラ・チャンスに一度もオーロラは発生せず、今回も到着から4日間、光のかけらも見えない寒空(一口でこう言ってしまうのは悔しいほどの寒さです)を見上げながら、私は、霞が晴れるように、ある真実に気付きました。

 「本当はオーロラなんてほとんど出ないんだ。だけど全く出ないわけではないから、旅行会社は、自然現象ですから云々・・・・というエクスキューズのもと、巧妙・悪辣な商売をしてるんだ」と気付いたのです。

 消費者問題を業としてきたこの私が何たること、と悔しさに身をふるわせた最終日、何と出たのです、オーロラが。しかも、天空いっぱいに、次から次へと、いろんなタイプのオーロラが何時間にもわたって。めったに見られないというカーテンタイプのオーロラまで。
 通算すると11日目の快挙です。今年は何か良いことでもありそうな、そんな予感のするアイスランド旅行でした。

 これで、私のオーロラ旅行は終止符を打ちます。



Re: オーロラを追って 篠崎悦子 - 2005/01/11(Tue) 10:24 No.161 HomePage

吉田さん、バンザイ!! やったね。良かった良かった。
成せば成る何事も、ですよ。今年はめったにない良い年ですね。
実は私も、先のマレーシア旅行のJALキャンペーンに当選したとかで、全く記憶にない(いつものことながら)景品(超可愛いスパンコールのバック)が送られてきて、目を丸くしています。これもまあ思わぬ良いこと。今年は良い年です!

 

カメラの使用説明書を点字翻訳する理由  投稿者: 吉田 良子 投稿日:2004/12/24(Fri) 10:43 No.153

お伝えしたい話があるのですが、「スロー」の集まりで口頭で伝えられる自信がないので、掲示板に載せさせていただきます。ただ、掲示板用にリライトするのが面倒なので、私のエッセイ・ノートに書いたものをそのまま載せます。ちょっと長いので、御用とお急ぎでない方だけ読んでください。

【カメラの使用説明書を点字翻訳する理由】


 友人から聞いた話である。


 この友人は大手企業を定年退職した後、市が主催する写真教室で腕を磨いている。写真を撮るために海外旅行をする、という結構な身分で、良きシニアライフのスタートをきったというわけだ。1年に1回、教室の写真展があって、私は可能な限り観に行くのだが、他の生徒の作品に比べて、彼の作品は、何というか「懐かしさ」みたいなものを感じるので、きっと腕前も優れているに違いないと思っている。もっとも、身びいきが強く、かつ芸術性皆無を自認する私の評価なのであてにはならないが。


 彼は、もう一つ、点字のボランティアグループに属していて、目の不自由な人のために、一般の文字を点字に訳す作業をしている。その彼に「カメラの使用説明書を点字に訳して欲しい」という依頼が寄せられたという。前述のように彼が写真に凝っているから、当然カメラに詳しいはず、というのが人選の理由である。「目の不自由な人が?カメラ?」と戸惑ったが、ともかく依頼者に会ってみることにしたとのこと。


 依頼者は、生まれついての全盲の男子高校生であった。生まれついての全盲、と知って、彼の戸惑いは倍増したという。「今まで簡単なカメラで写真を撮ってきたが、もっともっと良い写真を撮りたいので、高性能の(オートではない)カメラを使えるようになりたい。だからどうしても、説明書が必要なのだ」と全盲の高校生は言った。そして、「お花とか、人物とか、いろいろ撮るけれど、汽車を撮るのが一番好きだ」と言う。


 撮影以前の問題として、例えば彼は、チューリップをどう認識するのだろうか。誰かが「これは赤いチューリップだよ」と教えたとして、触覚や嗅覚などでチューリップの触感と大きさ、大体の形は分かるだろうが、「赤」という色がどんな色かを彼に分からせることはできないのではないか。模型を触れば汽車の形と、もしかしたら何らかの方法でスピード感を理解することができるのかもしれないが、大きさ、重量感、迫力などを実感することはできないのではないか。その彼が写真を撮って、写真店に現像を頼んで、出来上がった写真に手を触れて、・・・・そして、どうだというのか。


 友人は思い切って尋ねたという。「気を悪くするかもしれないけれど、翻訳する者として聞くのだが、高性能のカメラで写真を撮ったとしても、君はそれを見ることはできないわけだよね。なぜ写真を撮るの?どんなカメラで撮っても同じことじゃないの?」。全盲の高校生は、全く気を悪くすることなく、こう答えたそうだ。「ボクは見ることはできないけれど、父や母は見ることができる。学校の先生も友だちも見てくれる。みんな、ボクの撮った写真を批評してくれる。特に、両親は厳しい批評家で、ズケズケ批判するけれど、良く撮れたときは、とても喜んでくれる。ボクが全盲であるために、両親はずいぶん辛い思いをしてきたと思う。少しでも良い写真を撮って両親を喜ばせたい。だから、高性能なカメラを使えるようになりたい」。


 友人からこの話を聞いたとき、私は鳥肌がたった。打ちのめされたと言ったらオーバーだろうか。人間がこんなにも優しくなれるということが、ショックだった。この高校生とその両親の心境に思いを馳せてみた。自分が全盲の子の親だとして、その子の撮った写真をズケズケと批評できるほどの“優しさ”を持てるだろうか。ただただ誉めそやして、それを“優しさ”と勘違いするに違いない。傷をなめるようにいたわって、子どもに“守られる安らぎ”を与えることはできても“誰かを喜ばせる喜び”を教えることなく一生を終えるに違いない。自分が全盲の子どもだったとして、親の、自分ゆえの苦労や辛さを思いやる優しさが持てるだろうか。多分、いや正直にいえば「私は持てない」と断言できる。甘えといじけだけの一生を終えるに違いない。 自分がこんなにも優しさと程遠いちっぽけな人間であることを思い知るのは辛いことだが、その一方で私は、涙ぐむほど「人間っていいな」とも思ったのである。


 友人は今、せっせと高性能カメラの使用説明書を点字に翻訳している。今までの翻訳のなかで一番大変な仕事だそうだが、きっと充実感に満たされながら翻訳を続けているに違いない。

 



Re: カメラの使用説明書を点字翻訳する理由 篠崎悦子 - 2004/12/24(Fri) 18:31 No.154 HomePage

 こんないい話が入っていたのですね。
 毎朝掲示板をチェックするのですが、今日に限ってパソコンのエラーでなかなか開けず、外出してしまい、今開けました。
エラーの方は何のことはない、ソケットが外れていただけでした。

 さて、ほんとにいい話ですね。涙が出てきてしまいました。ここに出てくる人々がみんな、たいへんな苦労を経て強くいい人になったのでしょうね。ややもすると、詰まらないことで挫けそうになりますが、生きる勇気を頂きました。
有難うございました。


 

[掲示板]

 

[こころをスローにすること実行委員会]

[千葉ウィメンズ・フォーラム]

NewChibaProject