千葉ウィメンズ・フォーラム
日時 2015年04月21日(火) 13:00〜15:00
会場 サバティーニ東京大丸店
前夜の暴風雨も上がって、快晴とまではいかなかったが、まあまあの日和りとなった。
仕事が入った人、国内外地方巡業(?!)で忙しい人、高齢の親御さんと叔母さんの介護でてんてこ舞いの人、御主人の法事を地方でなさる人などなど、ご多用の方々が重なり、でも皆さんお目にかかりたくて、今回はこじんまりと開催しました。
で、大好評。いつもは席が遠かったりでなかなかじっくりお話する機会がなかった人と、今回はじっくりとお話できたなどと。
四方山話をゆっくりと楽しみました。
美味しいものをいただき、上等の会話をのんびりとする、まさに贅沢これぞスローの会と、みなで人生の特等席をたんのうしました。
先ずは、欠席メンバーの皆さんからいただいた近況報告を済ませる。
そして、出席メンバーの皆さんからそれらについて励ましの感想などが。
しばし、自分たちの親御さんや連れ合いの介護の思い出話でしんみりと。
どうしてこんな話になったのか、戦後の食糧難の話。そのひもじい思いがいまだに忘れられない人、お昼には蒸かしたサツマイモを持っていったとか。ひもじい思いはなく、給食の脱脂粉乳ミルクとコッペパンが懐かしい人も。長女を出産したら末の弟さんが初の姪にミルクをあげようと学校で飲まないでコップのまま家まで持ってきた、半分も無くなっていたなど、なんとも切なくも暖かい話しが続いた。70年近い前の記憶だ。
そして何故か、ジャズの話となった。
と、娘さんが、デンマークに嫁いでいるのがジャスのレコード会社との話になった。それは知る人ぞ知る「スティープルチェイス」!。
遠慮してあまり話したがらないが、後でネットで調べたら、ほんと凄い会社だ。
60年代流行ったスイングジャズなどに凝っていた人もいたので、大いに盛り上がったが、そこはみな「あの曲」「あの歌手」とか、当時のジャズ専門誌などの名前がさっぱり出てこず、でも昔懐かしいいい心持ちになった。
これも後で思い出した、わたしのこころに甦ってきていたのは、チェット・ヘイカーの歌う「マイ・ファニー・バレンタイン」 。懐かしいなー。40年も前の頃合いだな。懐かしいー。
この会、53回続いているのに、ジャズの話しになったのも初めてだ。四方山話のたまものだ。皆さん素晴らしい貴重な話をいっぱい持っている。話、つまりは経験、思い出の引き出しがたくさんあるのだ。流石だ。
元サッカー選手の中田英寿氏の話になった。
私はついせんだってBSテレビで見た印象が余りにも良く感心したので、その話をしたら、別の番組でみた人も、見直したと思ったとのこと。
マスコミ嫌い、人嫌いなどとだけの印象があったが、実は本人曰く「人が大好きなのだ」そう。サッカーも含めて何でもとことん突き詰めて探求する。精一杯やって戦って、そのあげくその感想を聞かれても、お愛想など言っていられない。見てくれたその通りだと。分かる気がした。
サッカーを止めて世界を回っているとき必ず聞かれたことが日本のこと。でも日本について何も知らなかった、応えられなかった。そこで今は日本を回っていると。
ネットやスマートホンで引けばすぐに分かるが、彼はそれをしない。携帯もガラ系しか持たないと。自分の目で探して、人とあって話を聞いて、初めて知ることができるのだと。
彼の生家のことを知っている人がいて、面白い話しをしていた。
凄い人がいるということを知ることはいいものだ。
韓国通の人の解説もよかった。
これは四方山話ではなく、実際に足繁く韓国に通い、韓国語も堪能であれば、実際に触れ、読み、見ての信頼できる筋の話となる。
あの国のこと、なかなかよくは分からない。朴大統領の事など、難しい実情が少しは理解出来てきた、かな。
さて、めったにしない気さくなでもいい話を終えて、お開きにしようとして、うっかり私は「あっ、痛い」と言ってしまった。「転んだの」と、「えっ、また転んだの!?」とからかわれた。
そう、大好きなハイヒールを履いてある夕食会に出かけようとして、ちょっとした道の段差にがくっ、何故か両膝をついて擦り剥いた。痛いのなんのって。膝の擦り傷と、足首がしばらくは痛いのだ。まだ痛い。
先輩諸氏もどうぞおきをつけて、っと。 ホホホッ。
(15.04.23)
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