千葉ウィメンズ・フォーラム
期間 2006年01月18日(水)〜20日(金)
参加者 8名
車2台。(里見車、篠崎車)
多くの皆様にお世話になりました。
ありがとうございました。
1月18日
10時に、JR総武本線成東(なるとう)駅集合
成東町の九十九里浜近くにある。
この蔵は一般には公開していないが、社長の若林賢治さんのご好意で特別に見学させて頂いた。
酒蔵の仕事は朝が早い。我々が行った時は既に仕事は終わっていて、明日の準備に取り掛かっているところだった。
案内下さる若林社長。
創業 明治元年。
創業の精神として、「地酒とは地元のお客様に最も親しまれているお酒のことである。地元のお客様のほのぼのとした幸せな日々のお供をさせていただけるようなお酒。我、其のお酒を醸すことを志す」と掲げ、以来、地元密着のお酒造りを心がけている。
九十九里地域で、出荷石数一位の地酒である。
地酒はまさにスローフードである。
米を蒸す。
寝かせる
2階。
ふつふつと醗酵。
搾りたての酒を試飲。
ここで20度だったかな。
炭酸がかすかに舌にぴりっとくる。かな。
出荷を待つ。
成東町の山側にある。
ここは、愛書家の下野幸雄さんが、昔庄屋だった自宅の蔵に、親の代から保存保管されていた古文書や日用品を整理して、展示しているところである。
さらに、新しく車庫の2階を広い見事な愛書館として、レア物や、初版物、古書などをものの見事に整理・展示しているところである。中でも、豆本の収集は日本一ではなかろうか。とにかく凄いの一言に尽きる。
蔵の前の石碑。
蔵の中。
蔵の中の展示の一部。
上が2つ玉、下が5つ玉の算盤や、昔の絵本「青い鳥」、「マッチ売りの少女」など、銅銭などがある。
愛書館の入り口に置かれた「清宵亭」の石碑。
愛書館の中。
とにかく蔵書の多さ、その整理されていることには驚嘆する。
中でも、豆本が凄い。
展示されているのはほんの一部。戸棚の中にはたくさん整理されている。4000部とか?
そのほか、戦中の教科書やかるたなど、もうどんなに時間があっても足りない。
自作本を紹介して、楽しいお話をたくさんして下さった下野さん。(左端)
九十九里町粟生納屋の海岸に建つ、篠崎悦子の亡父が書いた徳富蘆花の文学碑に案内。
寒い、寒い。
早く暖かいお風呂に入りましょう。
宿泊の宿、国民宿舎「サンライズ九十九里」へ。
[掲示板に寄せられた報告]から
無題 投稿者:朝 投稿日:2006/01/21(Sat) 10:35 No.375 | ? |
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Re: 無題 篠崎悦子 - 2006/01/21(Sat) 11:28 No.377 | ? |
素敵な写真をありがとうございます。 実は、九十九里浜でこんなに見事な日の出が見られるのは、年に何回もありません! 流石、日頃の心掛けがよろしいようで何よりでした。 遥々静岡から、風邪引きさんで来られて、お障りありませんでしたか。お疲れが出ませんように。 |
千鳥がいっぱい遊んでいる。
九十九里浜には千鳥がよく似合う。
高村光太郎の『智恵子抄』は、ちと悲しいが。
右側先方に小さく見えるのが、「サンライス九十九里」
左側先方に細く伸びている突端がこれから行く太東岬。
後方には、ぐるりと銚子の岬まで見えた。
こんな日はめったにない。
陸からの北西の強風で、空気が澄み切っていた。
銚子から太東岬までが九十九里浜。
太東岬から九十九里浜側を望む。
右側先端が銚子の岬。
南房総側を望む。
御宿町の山の中にある、萱葺の古農家をそのまま生かした食事処。
築250年でしたっけ。
自家農園「大地」で採れた野菜など、房総の豊な恵、旬の素材が中心の手作り懐石をのんびりといただいた。
左側が農園主の大地さん。
10数年前に、東京から生家に戻ってきて農業に取り組んでいる。
中央背の低い女性が愚為庵の女将。大地さんの奥さん。
館山市にある。
唐桟織は、千葉県指定無形文化財になっている。
一般には公開していない。
唐桟織は豊臣時代にオランダから輸入されたものといわれている。
天保改革時代の絹織り物禁止で、木綿細糸で織った縦縞薄手の織物として珍重された。
今日までその伝統を引くのは、館山の斉藤家のみになってしまった。
特徴は、植物の皮や実(山桃、藍、椎、矢車の実)などを煎じて原液をつくり、媒染剤を入れて色を出すとき、その調合は計量ではなく染液を口に含んで味覚によって配合するのが秘伝である。
案内下さる現在の当主斉藤裕司さん。
仕事場で説明下さる。
現在、着尺を織っている。
今注文して、2、3年先に出来上がるそうだ。
天井には糸を張るループがたくさんある。
染められた糸の束。
堪りかねてメンバーの一人が、先代の作を購入することに。
どうも彼女はこれがこの旅の大きな目的だった模様。
ただし、さらにこれに「砧打ち」の工程を加えてから出来上がりということになり、仕立て上げて着られるのは、この秋かな。袷に仕立てるのだから。
因みにお値段は、言わぬが花! 彼女は現金の持ち合わせがなく、着払いで払うとか何とか交渉していましたから!
羨ましい!
全員でぱちり。
後列右端が斉藤さん。
上写真右前方に大きくいるのは、斉藤家見学の労をとって下さった愛沢伸雄さん。
愛沢さんは、NPO法人「南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム」理事長。高校の先生を退職して、この仕事に励んでいる。南房総に係わるいろいろの話しを、この日の宿休暇村「館山」までお越しくださり、ご親切にして下さった。
千倉町白間津(しらまづ)のお花畑。
今年の異常な寒さで、まだお花畑も凍えていた。
遠く中央に、漁船が見える。
海が見晴るかせる広いお花畑群。
メンバーの一人が、今朝のテレビで満開のお花畑を見たと言い出し、探し探して館山市の隣り村三芳村までやってきた。が、菜の花畑は道中何処にも見当たらす、道の駅で聞いたら、「それは南房パラダイス」だと。
そこは、本日最初に通り過ぎたところで、大笑いとなった。
車での旅は、こうした自由がきいていいものです。
ここで、房総名物の「サンガ焼き」とか、なめろう飯とか、太巻き寿司を昼食として一休み。
道の駅三芳村。
気温5℃と表示。おお寒っ。
そして、みなさん、館山駅を15:00発さざなみ号特別季節列車で帰っていった。
東京着、17:00頃。
お疲れ様でした!!
………
翌日は千葉や東京でも大雪となりました!!
………
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[掲示板]に寄せられたコメント
南房総スローライフのフィールドリサーチに参加して 投稿者:吉田 良子 投稿日:2006/01/29(Sun) 16:33 No.392 ?
あの旅行は、こんなステキなタイトルの旅行だったんだ、と今ごろ感心してます。私は2日目から参加の1泊2日の旅行でしたが、あまりに色濃い印象で、「えっ?たった2日であんなに体験できたの?」という感じです。初日から参加された皆様は、大旅行という感じではないかしら。
最も印象に残ったのは寒風吹きすさぶ九十九里浜です。子供の頃、少女雑誌でこの名をみたとき「なんてロマンチックな名前!」と思ったのを覚えています。こんなに近くに住みながら、しかも旅行は好きでけっこうよく出歩くのに、九十九里浜は今回が初めてです。想像どおり大きな海でした。波頭が強風で砕けながら長い浜辺に打ち寄せるさまは、垂れこめた陰鬱な空によく似合って、凄みがありました。これも強風に煽られて砂浜を這う砂が、私の足元で戯れて、海に戻っていく様も、たくさんの千鳥が波に戯れるさまも、清少納言風にいえば「いとおかし」。
「唐桟織」を見せていただいたことも今回の旅行の収穫でした。文化の伝承と職業選択の自由のはざまで先細る伝統工芸の行く先に思いをはせました。どこの国にもある悩みなのでしょうね。(アメリカには無さそうだけど・・・・。独り言)
千倉のお花畑はちょっと時期が早すぎたようですが、花畑の向こうに船出した漁船が見えたことがとても印象に残りました。
もう一つ印象深かったのは、魚や野菜の地域特性です。東京からこんなに近いのに、東京では見られない個性的な食品が多いことに驚きました。千葉も含めて関東地方の文化は影が薄いような気がします。東京という大都会に近すぎるせいでしょう。ちょっと損してるって感じです。
以上、私の2日間の感想です。篠崎さん、ご参加の皆様、本当におせわになりました。今回参加できなかった方、次回は是非ご一緒に。
房総の旅 楽しかったです。 投稿者:m 喜代子 投稿日:2006/01/20(Fri) 18:57 No.374 ?
無事 お家に着かれたでしょうか。旅ありがとうございました。ご案内いただいたところどこもそれはそれは充実していて
篠崎さんの人脈に恐れ入りました。今 メールを打ちながらテレビをかけているのですが ある浅草のお寿司屋さんの情報を放送しているのですが 新製品の焼き寿司を紹介して これはお父さんが昔残ったおすしを焼いていたのを思い出して作ったとのことです。今日お昼に頂いた花寿司 昔?お祝いなどで頂いてきた花寿司を焼いてもらっておやつに食べたことを思い出しております。
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