千葉ウィメンズ・フォーラム
2007.08.21〜22
6名参加
21日
東京からの参加組みは、総武快速線を千葉駅で普通総武本線に乗り継ぎ、10:15に松尾駅に到着。
所要時間、2時間弱。
九十九里浜からは車で40分で到着。
合宿の「如雲莊」に荷物を降ろし、佐原へドライブ。
ここはメンバーのお一人のゲストハウス。
お父上の代から100年来、ゲストハウス「如雲莊」として母屋の側にあったものを、見事な山武杉をふんだんに使って数年前に改築。
向こう、後ろというか前には、畑果樹園・畑が広がり、自家栽培の果物や野菜をいただく。
母屋はまだそのまま残されている。
さてと、出発!! でーす。
竹林、稲田、雑木林、杉林の広がる涼やかな田園風景の農道をスローに進む。
本来は、「山武杉」といって、切り口模様の美しい建築材として貴重な材木の産地なのだが、ちと手入れがされていないようで、残念。
稲田は、多古(たこ)町にのみ採れる「多古米」は、美味しいこれも貴重な米。
皇室に献上されている。
佐原
1時間強のドライブで雄大な利根川沿いに出て、支流となる小野川河口に到着。
この小野川、利根川の水運を活用して佐原は栄えた。
左上部を利根川は銚子河口へと下る。
先ずは使用前のみなの元気な写真。
小野川沿いに佐原は広がる。
上部を利根川。
中ほどを小野川が流れる。
JR総武本線佐原駅。
ここでまた一人の参加者をピックアップ。
都合で予定の時刻表では乗れずに、独自のルートにせざるを得なかったメンバー。
途中JR総武線の人身事故で40分止まったりで、4時間かけて佐原に着いた。
4時間あれば、うちから北京のホテルにチェックインできるーっ、と呻いていた。
佐原は、小野川の両側に蔵造りの古い街並みが保存されている。
忠敬橋
伊能忠敬の養子に入った伊能家がこの川沿いに残されている。
忠敬は、九十九里町小関の生まれ。(我輩と同郷である。凄い誇り)
伊能忠敬の歩幅は70cmだった。
彼はこの歩幅で、55歳から、全国津々浦々、島々まで測量し、完璧に近い日本地図を作成した。
帝国主義時代のイギリスやポルトガルは、日本に地図などなかろうと測ってやるといい、そして日本を我が物にしようと企んだが、忠敬の地図を見せられ手を引いたといわれる。
伊能家の庭。
じゃあじゅあ橋
灌漑用の樋だったもの。
小野川沿いの佐原の街並み
こじんまりと、妙な人手が加えられておらず、たいへんによろしい雰囲気が残されていていい。
買い物でついつい時間を食う。
だって、昔懐かしい、ひっそりとした商いの佇まいがたいへんによろしいのです。
古い蕎麦や、小堀屋で昼食。
ここの黒蕎麦を食す。
こんぶを練りこんであるという名物。
香取神宮へ
ちょっと足を伸ばして、車で10分、香取神宮にお参りする。
大木の古木に銀杏がたくさんなっている。
黒塗りのシックで粋な神宮にみんな感嘆。
樹齢何年!
もののみごと。
帰路、多古の道の駅「あじさい館」の側を流れる栗山川。
九十九里浜へ流れ込む。
この川べりには、春は菜の花、初夏は紫陽花、秋はコスモスが花開く。
栗源(くりもと)の道の駅にも寄ったが、農産物や花卉の豊富で安いこと。
野菜を沢山買い込んで、今夜のバーベキューで焼こうと、レジに勇んだメンバーは、200数十円とびっくりしていた。
合宿の写真は、バーベキューの楽しさで、すっかり失念!
庭に突き出し、夕顔に囲まれたベランダで、風通し抜群。
空には、成田空港発着の逞しい飛行機が飛び交っている。
腕に自慢のメンバーがいるから、大安心。
激安新鮮の魚介類、採りたての野菜、ご亭主自慢の庭で採れた枇杷酒などの果実酒、ジュースなどなどの大ご馳走で盛り上がり絶頂。
昨日信州に行っていたというメンバーは、多忙をぬって、嬬恋のもぎたてのとうもろこしをたくさんお土産に、このバーベキューにのみ参加してくれました。
22日
そのベランダで朝食。
テーブルクロスは、ボリビア土産。
芝山へ
車で10分程度。
芝山仁王尊参り
芝山仁王尊は、成田山新勝寺よりは古く由緒あるお寺。
参道には古い旅籠やが残されている。
ガラス戸は、もしかして大正ガラス?この映りの歪みが。
参道の横、杉の古木。
護摩堂。
お堂ではたまにコンサートなどが催されることもある。
山門
本殿
先を上った二人は、座って仁王様の代わりにお守りしていたとか何とか…。
三重の塔
山門や三重の塔は見事な「上総彫り」が彫られている。
本殿前広場。
三重の塔の元で、パチリ。
この直後、下のコンクリートにカメラを落とす。
ガチャッ。
電池が飛び出した!
しかし、カメラは不思議と無事。
仁王尊のご利益があった。
持ち主同様頑強なカメラ!、とみなが驚愕。
私は、カメラを褒めてあげた。いい子いい子。
「花と緑と農芸の里」
古農家を移築してある。
萱葺屋根が葺き替えられて真新しい。
槙は千葉県の県木。
わが家や普通は、垣根や植木として形を整えている。
そのままに放られて、これまたいい風情の槙が目につく。
槙の実は、"おしょねんごぼう"といって、子供の頃おままごとに使ったものだ。
緑の丸い実に色付いた実が二段重ねで付く。
黄、桃、赤、濃い紫など。
この近くの東金市で育ったメンバーも同じ思い出に。
彼女は実の熟した緑の実を一週間で一升くらい集めて売ったという。
彼女の育った地は植木で有名な地域だ。
で、おしょねんごぼうはどう書くのかしらと問うたら、「お正念御坊」だそうだ。納得。
別の豪農の移築された休み処で昼食。
総武本線の佐倉以降の延伸や成東駅の開設に貢献し、初代成東町長だった安井家の築150年の居宅を、数年前に「花と緑の農芸財団」が当地に移設したもの。
大名の休憩所として建てられた建物なので、通常の農家の建物は土間が向かって右側にありますが、この家は右側が大名のお休み処になっていて土間は左側に位置している。
我々が食事をした座敷は、大名の席だったのかも知れません。
手前の空になりかけているのは、枇杷茶。
前に広がる田には、稲がそろそろ刈り入れの時期。
古米(黒米)が、他の稲よりも太い葉で色も濃い緑で、これはずっと先の刈り入れの模様。
葉月のお膳
さて、お疲れ様でした。
午後も予定を組んではいたのですが、何ともこの猛暑。
美男美女が熱中症で倒れて、丸干しになっていては元も子もありません。
そこはスローのいいところ。
いい頃合を見計らい、ここで終了としました。
松尾の駅から特急で(正しくは成東まで各駅停車。成東から特急)、極暑中の極暑東京へと。
東京に帰ったら、熱帯だったとか。
ふっふっふ。
お大事に、どうぞ。
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