エネルギー・フォーラム社刊「イーピーレポート」視点欄に連載している最近のエッセイ

エジプトの旅”(2004年10月11日)

    思い立ってエジプトに出かけた。予想を遥かに超えて、 4500 年の生きた歴史に触れることができた。

 ギザのピラミッド群が街中のすぐそばにあるように、数千年の歴史が現代の暮らしと隣り合わせだ。エジプトの経済は海外からの観光で成り立っている。われわれの世話をしてくれたカイロの旅行代理店は日本人客専門で、日本人スタップ 30 名とエジプト人 70 名。エジプト人の日本語はかなりレベルが高かった。

 数年前にルクソール西岸のハトシェプスト女王葬祭殿で観光客の乱射殺事件があったため、現在も外国観光客に警官の警備がつく。カイロからアレキサンドリアへの一日遠出に、銃携帯の警官がついた。ルクソールでは、件の女王葬祭殿や王家の谷観光に西岸にゆく世界各国の観光バスが縦列を組み、先頭に数人乗りの警察車が護衛としてつく。物騒なようだが、警官にカメラを向けるとにっこり笑ってポーズまでとる。いたって穏やかである。

 灼熱の砂漠の岩や岩盤を掘り密閉されていた墓なのだから、ミイラなど埋葬品の保存状態がいいのは当然だが、想像を絶する。ラムセス王墓の内部色彩の鮮やかなこと。カイロのエジプト考古学博物館に展示されているツタンカーメン王墓からの遺物の真新しいこと。金銀の装飾品は勿論、木箱や椅子、折りたたみ式ベッドの蝶番、折りたたみ式日傘などなど、在位の短かった王が当時使用していたままである。まだ、発見されていない王墓が数十あるらしい。ロマンは広がる。

  アスワンでは、ハイダムが建設されナイル川が大きく様変わりした。広大なナセル湖ができ、ヌビア人の村々は沈んだ。アルシンベル大小神殿やイシス神殿はユネスコの援助で上地に移築され、今日も観ることができる。 40 年前頃、私も寄付した記憶が蘇る。

 エジプトの電力の 50% はこの水力発電でまかなわれる。レストランで瞬間停電が何度かあったが誰も動じない。そして電力は近隣国に輸出しているそうだ。  

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