『三国志』の舞台を見てみたく、先ずは四川省の省都・成都に行った。
今からおよそ1800年前、この地に蜀の国を築いた主人公劉備玄徳が私の贔屓なのだが、現在この地では、”三顧の礼”で迎えられた家臣諸葛孔明の方が人気が高く、劉備の墓であり劉備とその家臣たちを祀った「漢昭烈廟」も、その中の一つにすぎない諸葛を祀った「武侯祠」と称すのが一般的呼び名になっていた。
成都を中心に、三国志よりも古く2300年前に作られた四川盆地の灌漑用堰・都江堰や、さらに古い3300年前に長江流域に栄えた古代文明三星堆遺跡などを見学するため、また3000m級の山々が連なる峨眉山登頂、さらには唐代に彫られた岷江を臨む巨大な石刻の楽山大仏、大足(重慶市郊外)にある5000体に及ぶ石刻群を見学するために、2時間、7時間というバスの長旅があり、舗装工事が続くデコボコ道をドッタンバッタン揺られ続けた。三国志の志士たちはもっと酷い深山幽谷を馬や徒歩で駆け巡ったであろうと想像しながら。
道路工事が続く理由は2008年の北京オリンピックに備えてとのこと。そして、成都市街の道路の広さに驚いた。これだけ広ければ有事の際の滑走路に転用できよう。韓国ソウル市の広い道路のように。
上海から帰国したのだが、上海は2010年の万博に向けて活気付いていた。GNPは10%くらいかと若い男性ガイドに問うたら、「とんでもない。3、4%くらいだろう」と。庶民の平均月給は6、7万円だそう。バンド地区に建ち並ぶ高層ビルを目の当たりにするにつけ、中国の格差社会は如何ばかりかと考える。
日本に帰国して直ぐに、日中戦争時、1938年から5年間、抗日運動の拠点だった重慶への日本軍の無差別爆撃の責任を問う裁判が東京地裁で始まったと、新聞に載った。
世界史や歴史から学ぶことは大きい。それを教えず、断ち切って新しい日本を造ろうとしても、時勢にただ流されるだけだろう。受験に惑わされず、世界史は必修であるべきだ。
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