『ローマ世界の終焉』−ローマ人の物語15
塩野七生著
新潮社 3000円+税
教科書には出てこない埋もれた史実を、語学力を活かして丹念に生き生きと蘇らせる著者のイタリア史には否応なく引きずり込まれる。『ルネサンスの女たち』や『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』を読んだ時、40年前になるが、こんな歴史書があっていいものかと衝撃を覚えた。
本著は、「ローマ人の物語」シリーズ十五編完結編。ローマが如何に滅んでいったかを、末期症状の皇帝、将軍たちに、側近書記官や詩人という現場証人の記録を蘇らせて実況放送よろしく語らせる。
395年、ローマ皇帝テオドシウスが死んだ。帝国の西と東を二人の幼い息子に託した時に東西分離の色合いは濃厚となった。カエサルが基礎を作り(カエサル自身蛮族系ローマ人)広大な帝国を運営した施策、被征服者の蛮族を滅ぼすのでなく「同化」して活用、彼らを同盟国として帝国の防衛線を担わせる、領内ではローマ人以外でも誰でも平和を享受できる「パックス・ロマーナ」を保障する、というローマ人の法の民としての紳士協定が機能しなくなってからは、そして地中海が帝国の内海でなくなってからは、滅ぶのは簡単だった。
怒涛のごときアジア系蛮族フン族に追われたゲルマン系蛮族たちが防衛線として踏み止まれず、イタリア本土まで逃げ込み互いに攻略し始めても、ローマ人は軍事を蛮族に任せていて既に鎮圧の術など全くない。
西のローマ皇帝は、皇宮をローマからラヴェンナに移して避難していた。フン族首領アッティラ軍下でローマ軍と戦ったことのあるローマ人の父を持つ16歳の傀儡皇帝ロムルス・アウグストゥスは、帝位に就いた翌年の476年、ローマ軍将軍で蛮族出身のオドアケルに退位させられた。そのオドアケルは帝位は継がずイタリア王と名乗ったのみだった。ここに、1300年続いたラテン系ローマ人の帝国は壮絶な滅亡の瞬間もなく必衰したと著者はみる。
東ローマ帝国はこの後1000年は続くが、ビザンチンとして限りなく東方化し、西はゲルマン系民族のゲルマン、フランクやヒスパニア、ブリテン王国などと、今日にも繋がるヨーロッパ地政図がうまれたのだった。
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