篠原 一著
岩波新書 七〇〇円
時代が変わったと殆どの人は感じているはずだ。しかし従来通りの政策で、企業も社会も政治も一向によくならない。
この本は、われわれが今どういう時代にあるのかを、分かりやすく分析している。
一言で言えば、「市民」が変わったのであり、その「討議」の制度を早急に考えなければならないということだ。
近代の幕開けは、大雑把に捉えると、産業主義、技術主義、そして個人主義ですすめられた。第二次世界大戦後、経済成長が最盛期に達すると同時に、すでに負の側面であるリスクが環境問題として現れる。ローマクラブの指摘した「成長の限界」である。科学も、 IC 、ヒトゲノム、ナノテクノロジーと発展の歩をゆるめないであろうが、原子力開発など負の議論も表面化し、神の座から引きずり降ろされた。
そして、この本の主題である人の変化である。近代は「個人」の確立と人権の拡大が特徴のひとつであった。権利を共有するもので組織をつくってきた。それが企業であり労働組合であり、政党であり、家族であった。
生活が向上してくると組織への帰属が意味をもたなくなり、個人化の傾向が強まった。ベンチャービジネス、 NGO が誕生し、家族は核家族からさらに核化している。
組織の中の個人の意味はなくなったが、福祉や教育においては社会の制度に頼らざるを得ず、新しい問題意識が生じてくる。そこで、現在の新しい社会運動がおこっていると捉える。
この現代の新しい運動の特徴は、現政権を倒し権力を掌握しようなどというのではなく、権力のありかを暴けばそれでいいのである。ある種のメッセージを送るだけである。そして、この構成員たる人々は個人化しているから、自己のアイデンティティを追及し、自己主張できればいいのである。運動のビジョンなどはもっていない。
運動は動員数で力づくが、このネットワークは表面にある可視的なものの下に、日常的に水面下の存在が広くあり、女性やエコロジストの運動の強さはここにあると分析している。
確たるビジョンなくして、感性的に集まるから、帰属意識は希薄で、方針も変わり易く、強烈なカリスマがあらわれると、いわゆる安易なポフュリズムに陥るのである。
既成の体制が、反対運動や抗議運動と話し合いを持とうとしても、なんら解決の道が見えないとしたら、こうした新しい市民像を捉えきれていないからではなかろうか。
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