カン・サンジュン著
講談社
1500 円
「在日二世」を自認する著者のこころを通して、「在日」の苦悩のみに留まらず、自身の置かれた国際的環境を糧に、広く世界、なかんずく東北アジアの戦後の歴史、その中でのそれぞれの国への提言、そして、「在日二世」としての前向きな生き方を表している本である。
著者が生まれた一九五〇年すなわち朝鮮戦争勃発の年から、われわれが忘れつつある日本戦後史を紐解いてくれる。それ以前の朝鮮植民地化以降、宗主国に強制連行や職を求めて日本にきた在日は二百万人にものぼった。そうした著者の親たちが在日一世として韓国・朝鮮人集落をつくっていった。そんな中で生まれ育った著者が、青春時代を生きた高度経済成長を成し遂げようとする日本社会での「アウトサイダー」としての苦悩が伝わる。
歴史的経緯としての日本と朝鮮半島の関係、今日の日韓関係、日朝関係、韓朝関係、そしてイラクをめぐるヨーロッパ・米国の動向、湾岸戦争、イラク戦争などについて、体験的社会学者として貴重な分析、示唆に富んでいる。拉致問題に絡んで北朝鮮問題がクローズアップされている今日、日本が韓国と北朝鮮を評価する見方が百八十度変わるブレ方など、冷静に見据えている。
一九〇五年、英国日本など列国間で、アメリカのフィリピン領有を認めるかわりに、日本の朝鮮半島領有が認められて来年で一〇〇年が経つ。この間、北朝鮮と日本は正常な関係になっていない。著者は、日本が玄界灘の向こう側にある国にも熱い目をむけよと警告する。新渡戸稲造以来、太平洋の向こう側への熱き眼差しと違い過ぎると。
昨年死んだパレスチナ人で現代文芸評論家サイードの指摘「知識人とは常にアマチュアである」という言葉に触発される。アウトサイダーで社会にいることは、常にアマチュアであることと同じだ。韓国社会も在日を理解していない。箸の持ち方、言葉使いが違うと、ゼロから学ばねばならない。日本人は日本社会においてのエキスパートである。どっぷりとインサイダーの中に浸からないアマチュアは、だから、専門家やエキスパートが忘れている、直感的な問題理解の能力が発揮されるのであると。以降、これまで在日には発言の機会がなかった分野でもあえて活躍の道を開く。
九〇年代バブリーな日本は崩れ、故郷はうすれ、制度は破綻し、セイフティーネットがなくなった今日の日本。一般国民の「在日化」を著者は危惧する。
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