『ローマ皇帝伝(下)』

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読書日記

2015年03月19日

『ローマ皇帝伝(下)』スエトニウス 岩波文庫 720円

(下)では、カリグラ、クラウディウス、ネロ、ガルバ、オト、ウィテリウス、ウェスパシアヌス、ティトゥス、ドミティアヌスまでを描いている。カリグラは紀元12年生まれ。ドミティアヌスは96年に殺される。
歴史の教科書では余り習った記憶のない元首たちもいる。
日本語の題名では皇帝という名称をつけているが、原題は、De Vita Caesarum Libri VIII (カエサルたちの伝記八巻)
ほぼ同時代に生を得ていた著者スエトニウスは「皇帝」という全く文字を使っていず、「元首」とか「カエサル」とか「最高司令官」としか言っていない。
「皇帝(エンペラー)」とは、ラテン語のimperator に遡り軍隊の最高司令官を意味し、後には戦争で勝った将軍にこの称号が与えられたので、この肩書きを持った人はユリウス・カエサル以外にも、ポンペイウスなどたくさんいた。
ところが、アウグストスゥスからは元首のみに限り、しかもカエサル家の固有肩書と限定した。ここに「皇帝」の意味が発酵し始めた。アウグストゥスが初代皇帝といわれる所以である。
「カエサル」とは、ユリウス・カエサルの家名であり当然その使用は家族や子孫に限られていた。アウグストゥスからネロまではカエサル家の養子縁組や婚姻で血が繋がっていた。しかし、カエサル家との繋がりのないガルバ以降の元首が「カエサル」を名乗った時、「カエサル」が家名ではなく、今日ドイツ語のカイザーやロシア語のツァーを意味する「帝王」に変質した。
「元首」とは、第一人者ー傑出した政治家という意で、princeps とも呼ばれていた。ポンヘイユスやカエサルらに使用された。

こうした紀元前後1世紀辺りの、統率者のまだ呼び名も混沌としていた時代を、同時代者が書いているままがおもしろいのである。

この巻でも、元首のむしろ私生活や生活、性格をざっくばらんに描いていて凄い。カリグラやネロが生まれながらに何故あれほど残忍で淫猥なのか、しかもユリウス・カエサルの一応は家系なのである。兄妹、親子間の血縁性関係が原因なのか。
そして、よくもあのローマ帝国がそんな愚王たちによってもったのであるか。
深く考えさせられる。

今日、テレビではチュニスで乱射事件が起き、日本人観光旅行者も死者が出るなど巻き込まれたと伝えている。
チュニジュアなど北アフリカはこの古代ローマ時代以前からの地中海文化圏で、地中海を囲んでエジプト、中東諸国、トルコ、そしてヨーロッパのスペイン、フランス、イタリア、ギリシャ、などなどとは同一圏内なのだ。
そこに、始めはキリスト教、ついでイスラム教が勢力を伸ばし覇権を争ってきた。
この地域の争いは、2000年以上に及ぶ。2000年以上にわたり不安定なところなのだ。
塩野七生の本やこの皇帝伝を読んでいると、その辺りのことが当然に分かってくる。

このところ海外旅行をする元気を失っていたが、ようやく思い立って頑張って、地中海社会の真ん中にあるシチリアを旅してみようかと思っていた矢先の事件。シチリアとチュニジアは目と鼻の先、これでは一先ず中止だ。

 

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