『皇帝フリードリッヒ二世の生涯(下)』 塩野七生 新潮社 2400円+税
(上)に引き続き、1238年フリードリッヒ44歳から1250年56歳で死去、その後後継者の子らは戦死または斬首されホーエンシュタイン家一門は滅び、1282年スペインのアラゴン家に嫁いでいた孫のコンスタンツァがシチリアの統治者になるまでの、法王との戦いが記されている。シチリアからフランス軍を一掃した事件はヴェルディーのオペラ「シチリアの晩鐘」で描かれている。
1273年にハプスブルグ家のルドルフが皇帝に即位する。ハプスブルグ家はドイツにおけるフリードリッヒの忠臣で
あった。フリードリッヒは異端裁判にあい皇帝の座を法王に奪われたまま死去したのだった。
著者の筆は真に魅力的で、こんな複雑な歴史の人間模様を難なく楽しく読ませる。途中の解説もおもしろいので、どうしても大作になってしまうのだろう。大量の史料をまとめる文の構築力が抜群か。
あくまでも政教分離をうたって法王とし烈に戦ったフリードリッヒをルネサンスの魁けと見る。
法王がキリスト教世界の域で何をしようとかまわない、が政治の世界に戦いの世界にまで「長い手」を伸ばしてくると断固戦う。法王は軍を持たないため他の王たちを唆して戦うしかないから、いきおい政治的取引手段にこうじるのである。
中世のローマ法王たちは「コンスタンティヌス大帝の寄進書」という、コンスタンティヌス大帝がキリスト教を公認したばかりでなく当時のローマ帝国の西半分にあたるヨーロッパまで法王に贈ったとする書を盾に覇権を振るおうとする。この寄進書は11世紀前半に法王庁がでっちあげたものと1440年に実証される。
フリードリッヒは、イエスの言葉の「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」に断固従う。
皇帝と法王の戦いは中世いっぱい続く。教会が文化を科学を政治を司ろうとするので暗黒の時代といわれる。十字軍しかり。
「カノッサの屈辱」は皇帝が法王に詫びを入れ、フリードリッヒは異端とされても戦い、「アヴィニョンの捕囚」ではフランス王に法王が捕らわれる。
14世紀後期から教会に縛られない人間解放を謳うルネサンスの動きが始まる。
イタリア、フリードリッヒの思いが込められ眠る、プーリア地方にも是非行ってみたくなった。
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