『原発と祈り』 内田樹、名越康文、橋口いくよ メディアファクトリー 1200円+税
花粉症の強烈なクシャミで背中を痛めて、じたばたせずにじっとしていようとひたすら読み物に目を通していた。雑誌「家庭画報」も隅から隅まで書評欄まで読んでいたら、この本のことを発見。早速アマゾンで買って読んだ。
「原発と祈り」という題に惹かれた。
思想家と神経科医と作家の鼎談をまとめたもの。3.11直前に、閉塞・硬直した物の考え方、社会を打ち破ろうと企画していた「価値観再生道場」というシリーズものの鼎談だったが、大震災から3週間後に始められた。
それ故、当然主題は3.11以降の原子力発電所の事故、人間の心のこと、罪悪感、思考停止状態、しあわせとは、今を生きるための心構えなどといった精神的なこころの持ち方の話しになっている。
日常会話で私的体験を取り入れ、元の雑誌ダ・ヴィンチ連載スタイルのまままとめられている。
40年間昼夜休みなく電気を送り続けてくれ、我々の安全で快適な暮らしを支えてくれてきた原子力発電に、事故後ずーと有り難うと祈りを捧げてきたひとがいたと知りこころやすらかになった。
私は、原子力発電所はたいへんだな、惨めな姿になった、かわいそうだ、そこで働いていた人たちはどんなにか辛かろうとは思っても、祈りを捧げることには思い至らなかった。
彼女は無意識にそうしていたのだと。でも彼女は日頃何かにつけ感謝のこころをもっていたようだ。
それを「鎮魂」と捉えるのだと思想家や神経科医はいう。
現代社会は祈りが欠けていると。
荒ぶる神の火を鎮めるために、鎮魂、供養が必要。
あんな怪物もういらない、ネットで死ねという、マンション建設反対のプラカードに書かれる"怒""怨などの呪いの言葉は確実に機能するのだそうだ。生活空間にそうしたものを置いたり書いたりしてはいけない。マンションなら家庭崩壊に繋がると。
呪いが活発に機能していた源氏物語に出てくる平安時代のような社会では、呪鎮が効果する。が、現代のようにだれも呪いを信じていない社会では呪鎮は利かない。呪いだけが秘かに依然人々を打ちのめし傷つけ殺している。
邪悪な自然などというものはない。邪悪な津波も邪悪な地震もない。邪悪なのは人間だけである。そんな邪悪なことはしていないという「凡庸な善人」、「弱き者」が正義と思い込み救済を求めて呪いの言葉をまき散らしているのが現在の日本である。
邪悪なものは、超自然的なものでなく、人間の心が生み出すものであるのだ。
気に掛かるのは、3.11以降、原子力発電所のことを皆が「原発」と言い捨てることだ。
(12.03.28)
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