『保守の遺言』

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読書日記

2018年08月15日

『保守の遺言 JAP.COM衰滅の状況』 西部邁 平凡社新書 880円+税 

平成最後の終戦のこの日、この本の感想を記すのも何かの因縁か。

平成30年1月21日、自裁死を遂げた著者の最期の著書である。
「あとがき」が、平成30年1月15日となっている。「序文」で、自死への構えは23年前におおよそ定まった、とある。そして、残念至極なことに大東亜戦争の敗北まではかろうじて残っていた日本民族の廉恥心・公平心・正中(的を射ていること)・勇強心がほとんど消滅してしまっている現状を、JAP.COMの衰滅と形容したいのである。.COMなどという軽薄な表現をわざと用いているところが、正に現状を訴えている。
日本語でも、ギリシャ語、英語、その他、言葉の真意を捉えて論立てる。例えば、ポピュリズム。本来はポピュリズムとは人民主義のことで、困窮する人民の状態をどうにかするということ。それが現在は人気主義として使われている。人気のことは英語でポヒラリティというのだ。従って昨今の人気主義はポピュラリズムが正しい。
第二章「瀕死の世界における人間群像」が興味深い。「大量人」として、砂粒の個人がマスとして「模型の流行」に乗って集まり風が吹けばすぐ姿形を変える砂山のごとき「模流」社会、とか、「スマホ人」として、世界を弄んでいるうち世界に弄ばれている人々の群れ、とか。
イノベーションをITの繁殖に結び付けての休みなき進行を、警告する。情報なるものを形式化・数量化の容易な種類の知識のみを目指し、それらの困難な哲学的・芸術的・宗教的な領域の知識(ナレッジ)貧しくなっていくと。

みえるのはマスクラシーの勝利でありキャピタリズムの進撃でしかない。両者は世論と資金を通じてメディアを動かしつつ、今や議会や政府までもがマスクラシーとキャピタリズムの前に拝跪している。自分の眼をおのずと閉じたくなってしまう体ものだ。

こうして、著者は逝った。優しい亡き妻、家族、親族への思いを伝えて。ゆっくり休んでください。合掌

 

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