『逝きし世の面影』 渡辺京二 平凡社ライブラリー 1900円+税
読んでいて、こころがざわついた。懐かしく、暖かく、気さくで、明るくて ……。
千葉の片田舎育ちの私には、戦争直後の暮らしにまだ微かに残っていた、というか、つかの間取り戻された、そうした市井の気配が記憶に甦る。
明治6年に来日し、明治44年に日本を去った高名なジャパノロジスト、チェンバレンは、「1750年から1850年ころの(日本は)…、なんと風変わりな、絵のような社会であったことか」「古い日本は死んでしまった。そしてその代わりに若い日本の世の中になった…」と記している。一つの文明が死んだといっているのだ。
日本近代登山開拓者ウェストンは、「明日の日本が外面的な物質的進歩と革新の分野において、今日の日本よりはるかに富んだおそらくある点ではよりよい国になるのは確かなことだろう。しかし、昨日の日本がそうであったように、昔のように素朴で絵のように美しい国になることはけっしてあるまい」と記す。
ハリスは、1856年(安政3年)9月4日下田玉泉寺のアメリカ領事館に、「この帝国におけるこれまでで最初の領事旗を掲げた」その日の日記に、「厳粛な反省ー変化の前兆ー疑いもなく新しい時代が始まっている。あえて問う。日本の真の幸福となるだろうか」としるした。
有能な通訳者ヒュースケンは、「この国土のゆたかさを見、いたるところにみちている子供たちの愉しい笑声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見出すことができなかった私は、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているように思われてならない」と。
著者は、これら異邦人が変化を予感し、見届けたものを、明治の近代化、西洋化によって失われた、世界にまれに見る日本独特の文明だったとみる。
これに取って代わって、西洋の合理主義、科学主義、カソリック主義一辺倒を基調とするものの見方の文明に変わってしまった、と。
幕末の開国の頃、あるいはそれ以前、また明治期、多くの外国人が日本を訪れ、当時の日本の原風物を物珍しいと観察し記録している。それを丹念に史料として読みこなし、"陽気な人々"、"簡素とゆたかさ"、"親和と礼節"、"雑多と充溢"、"労働と身体"、"自由と身分"、"裸体と性"、"女の位相"、"子どもの楽園"、"風景とコスモス"、"生類とコスモス"、"信仰と祭"、"こころの垣根" などと章だててまとめている。。
読んでいて、昔懐かしいもったいないもの、取り返しのつかないものを見失ってしまった喪失感に腹の底からさいなまれる。
海外旅行から帰って、テレビで昔作成された時代劇(今作成されたのでない)を見るとほっとするのも、このあたりの感覚がまだ尾てい骨の角に残っているからだろうか。
日本人なら、是非一度この本を読んで、こころの記憶に留めておきたいものだ。
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