『出雲と大和』 村井康彦 岩波新書 840円+税
出雲大社の60年に一度の遷宮が話題となっている。
後60年後には無理であろうから、今回お参りすることにした。
恥ずかしながら、日本古代の歴史にとんと疎い。罰当たりかな。
戦後の教育では、大和朝廷についての教育はなされなかった。"神武以来の云々…"という文言は聞き覚えたが。
ましてや、出雲の国造りの話しなどは、大黒様の因幡の白兎の話しくらいだ。やまたのおろちの話しも思い出したな。
今日の教育では、歴史は殆ど軽んじられているらしいな。
それなのに、小学校から英語を教えるとのこと。何だかおかしな教育方針だこと。
海外の子供達の映像がテレビなどで伝わるが、どこの国の子供達も自国の歴史などを誇らしげに話すのを見ると、はて日本の場合どうなるのかなと考え込んでしまう。
出かける前に一通りの知識を身につけようと『出雲と大和』を読んだ次第。
歴史ロマンは果てしなく広がっていく。
以下は著者の説であり、日本古代の歴史については諸説ある。
出雲の国が先ずあり、大国主命(大黒様)が日本海側を中心に治めていく。彼は幾多もの名を持ち、様々な統治を広めた地の有力な族長の娘と結ばれてその地に名を残す。
大和盆地(葦原中国)には卑弥呼の治める邪馬台国があったが、これも出雲の支配下にあった。
その邪馬台国を攻めたのが九州高千穂峰方面からやって来た神倭磐余彦(かむやまといわれひこー神武天皇)で、新しく大和朝廷を開く。
日本の歴史を書いた最古の書「古事記」にも「日本書紀」にも出雲や邪馬台国が載っていないのは、大和朝廷の編纂だからだ。神武天皇で始まるのである。
邪馬台国に関しては、中国の史書「魏志倭人伝」に克明に描かれているが。
2、3世紀頃、日本も有力覇者が勢力を拡大し合い、国造りに励んだのであろう。
西洋では、大ローマ帝国が衰退しはじめ東西分裂しようかという頃か。
著者は克明に各地を足で歩いて、当時の磐座(いわくら)信仰や四隅突出墓の跡、神々を迎える総社などを辿り、出雲の国造り、出雲大社の往年の姿を甦らせている。
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