『社会的共通資本』

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読書日記

2015年06月25日

ここに来て、20年の東京オリンピック会場のメインスタジアムが、基本どころで大騒動だ。聞いていると怒りがこみ上げてくるし、なんともはや空しくなるし、オリンピックへの夢が萎んでしまった。
関係者は何を考えているのか。いたのか。昭和39年東京オリンピックメインスタジアムだった国立競技場を改修し、コンパクトにやるのではなかったのか。それを完全に取り壊し、莫大な法外な予算のスタジアムをこれから作るという。責任者は誰なのか。新たにオリンピック担当大臣が決まったがどうなるのか。オリンピックとは国の主催ではなく都市の主催のはずなのだが。
『社会的共通資本』を読んでいて、日本の国が、国民・市民のためになるよりよい方向とはまるっきり正反対の方向へ、相変わらず戦後の高度成長以来同様に邁進し続けている姿が浮き彫りにされ情け無い。もう取り返しがつかないのか。

『社会的共通資本』 宇沢弘文 岩波新書 800円+税

皆がより幸せな社会を生きるために経済学者の著者が考え実践し伝えたかった事が書かれている。
豊かな経済生活を営み、優れた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を安定的に維持する、このことを可能にする社会的装置が「社会的共通資本」である、と。
章立ては、序章 ゆたかな社会とは
      第1章 社会的共通資本の考え方
      第2章 農業と農村
      第3章 都市を考える
      第4章 学校教育を考える
      第5章 社会的共通資本としての医療
      第6章 社会的共通資本としての金融制度
      第7章 地球環境
       あとがき
である。
これらの社会的共通資本が具体的にどのような構成要素からなり、どのようにして管理、運営されているか、また、どのような基準によって、社会的共通資本自体が利用されたり、そのサービスが分配されてきたか、それらの果たしてきた社会的、経済的役割を考え、よりうまく達成されるにはどのような制度的前提条件が満たされねばならないか、その本質を分かり易く鋭く指摘している。
「もともと文化というとき、人間と人間との接触がもっとも大切な契機となる」と読んだとき、今現在文化は育まれていないなと残念に思う。
農業基本法が農業発展を工業発展と同様に考えたときから今の農業の衰退はあるのだと、では今現在の国際的農産物輸出入規制では到底太刀打ち出来ないはずだ。
自動車が大手を振って疾走する中、徒歩者、自転車は死傷する道路国土開発が根本から間違っている、町作りは徒歩で動ける範囲にするのが人間の住む町である。
当たり前だったことが、誤った近代化や効率化、経済化を求める為政者、企業家等などにより国家レベルでなされてきてしまっている実情が分かる。
効率化、経済化、巨大化などは前世紀のもの、本質的に人間を大切にする施策に変更していく勇気が必要だ。
" small is beautiful " はどこへいったか。  

 

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