『徒然草』 校注西尾実・安良岡康作 岩波書店 1300+税
つれづれなるままに、日くらし、…… 高校時代に古文の時間に暗唱したものである。
年の瀬だというのに、つれづれなるままに読んでいる。至福のひと時。まだ半分も読んでいないが、つれづれなるままにゆこう。
暮れのテレビ特別番組などはもとより興味はなく見たこともない。それでも年末の掃除が一通り済み、美味しい酒と肴がたくさんあり、家族や友と団欒した後、読書にはもってこいのひと時だ。
何と、学生以来の『徒然草』。これが新鮮だ。この歳になって読むと、いろいろと面白い事を書いているのに気づく。と言うか、現在と700余年も前の視点と、あまり人間社会への物言いが変わらないから面白いし、昔も今も変わらないのだなと、可笑しい。
兼好法師という若い頃朝廷に仕えたことのあるかなり位の高い知識人が書いたエッセイである。当然読者層は高位の人々だ。だから、高僧や殿上人などが主たる登場人物。
何しろ243段ある。最後のこの段も、どこかで読んだことがある。8歳の折、父に「仏は如何なるものにか候ふらん」と問う。父が云はく「仏には、人の成りたるなり」と続くが、ついに父「問い詰められて、え答えずなり侍りつ」と、諸人に語りて興じき で終わる。こころ温まる問答である。
男女の密会の夜明けを目撃してしまった件だとか、寺の僧が酒の席の余興で鼎を被ってしまい取れなくなって往生する件とか、知らないことを知ったかぶると品がないとか、大声で大騒ぎしてしゃべっているのはみっともないとか、かつてどこかで読んだ記憶が蘇る。
彼の生まれた年は1283年あたりとされ、没したのは1352年から数年後。70歳前後で京以外の地で世を去ったと言われている。
代は鎌倉後期から南北朝時代。激動の時代の人だ。彼は北朝派だったようだ。
視点は皮肉でもあり、暖かくもあり、ユーモアもある。こころのゆとりがあったのだろう。出家してそうなるのであろうか。
失われている日本語が多々あり、ここでも考えさせられる。
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