お手玉遊び

2005年01月09日

子供の頃は、お手玉でよく遊んだ。

両手で3つは当たり前、5つまで上に放りあげてつなぐことができた。

片手では3つ。夢中でただ遊んでいた頃。

その時に合わせて歌う数え歌を思い出した。

“いちれつらんぱん破裂して

 日露戦争戦いに

  さんざん負けるはロシアの兵

   進んで攻めるはわが日本

50万の大軍を

 6人残して皆殺し

  7月8日の戦いに

   ハルピンまでも攻め入りし

    クロパトキンの首をとる

     東郷大将ばんぱんざい”

懐かしい。

童歌(わらべうた)なのに、戦後間もない頃のせいか、まだまだ軍国主義濃厚で、おっそろしい!

そう言えば、この歌、日露戦争の歌だ。ということは、明治42年生まれだった母に教わったのかなぁ。

こんなことを思い出したのも、歳を重ねて、手足が覚束なくなり、運動不足もいいとこと、傍にあったみかんを手にとって、お手玉をやってみたからだ。

昔だったら、みかんなんぞで遊んだら、もったいないと叱られたところだ。

それにしても、みかんは投げにくい。と言うか、掴みづらい。硬いからだ。

ほんとうのお手玉は、中に、数珠玉といって、草の一種の実で、上品な燻し銀色で硬く艶があって、芯がすっぽり抜け、それを糸で通して繋げると数珠のようになる実か、小豆が入っていて、適当に柔らかで手に馴染むのである。

数珠玉の草は、母が庭に植えていてくれた。

作り方も思い出してきた。

母が大事にしている端布を分けてもらって、縫い合わせて、中身を詰め、綴じる。

こうして、お手玉は自分で作って、10個くらいはもっていた。

雨の日は、家の中で畳のあわせ目を使って一つそこに置き、スタートラインから頭に1個乗せて、あるいは脇に挟んで、背中に乗せて、お腹に乗せて、下に置いてあるお手玉のところまで歩を進め、上から下めがけてぽとりと落とす。お手玉どうしが重なれば勝ち、重ならなければ負け。

大勢でも遊べれば、一人でも遊べた。

そんな思い出には、傍らで、母が裁ち板を広げて和裁をしている姿が重なる。

今、運動のためにも、お手玉を作ってみたいと思いつつ、なかなか成せないでいる。

おおっ、危ない! 

昔のことはしっかり覚えているくせに、ついさっきのことは完璧に忘れる、いやだいやだ。

かなりの確信犯。

 

2005年01月07日「初髪結い」← →2005年01月11日「お宮参り

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