昨日、久々に能鑑賞にお招きいただいた。
国立能楽堂での金春会定期能。
能は「景清」、「葛城」、「野守」
間狂言に「成上り」
「景清」は、平家の武将が敗れて源氏の世を見るのがいやで自分の両目を潰して日向国宮崎に流人となって暮らす。そこへ娘が訪ねてきて、屋島の観戦での己の武勇談を聞かせて別れる、というストーリー。
景清専門の面を付けている。面の向きに寄って姿全体の表情が違ってくるから凄い。
景清は悪七兵衛景清といい、上総出身の強者。我々千葉人の先輩だ。
妙なところに関心を持って観た。
「葛城」は、葛城山に住む女が、羽黒山から詣でた山伏に、言いつけに背き橋を架けることができなかったので蔦葛で縛られていて苦しい、祈祷してこの戒めを解いてくれと話す。
実はこの女は葛城明神の化身で、橋が期限までに架けられなかったのは、余りの不美人で昼は隠れ夜しか働かなかったから。
戒めが解けて喜ぶ女神は、白い月の光に照り換える雪の中でしずかに「序の舞」を舞う。
「序の舞」は、どの曲でも終わりの頃に全く同じ型で舞われる。
「野守」は、旅の山伏は大和の国春日の野にある「野守の鏡」という名所の池を地元の老人から知る。でも本当の野守の鏡とは、昼は人となり夜は鬼となってこの野を守る鬼神の持つ鏡であると老人は語る。
夜山伏が祈っていると鏡をもった鬼神が現れ、天上界から地獄までを鏡に映してみせ、大地を踏み割って地獄に消える。
老人の静かさと鬼神の力強い動きが対照的な見せ場となる。
間狂言は、「成上り」
主人の共をして鞍馬寺に参詣した太郎冠者が、通夜の間に預っていた主人の太刀を青竹とすり替えられ、可笑しな言い訳をいう。ものが成り上がって別のものになる、嫁が成り上がって姑になる等々、太刀が成り上がって青竹に…(笑い)。
盗人を取り押さえるのだが……(笑い)
久々に、能の世界でこころ穏やかな、スローな心持ちになった。
夜は六本木の瀬里奈本店で蟹しゃぶをご馳走になりました。
六本木も随分と変りましたね。
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