10月の今春会定期能に連れて行っていただいた。
千駄ヶ谷にある国立能楽堂にて。
能 「鉢木(はちのき)」
上野の国佐野で大雪に遭遇した旅の僧が、宿を借りる。その家は粟の飯しかなく、薪もない。家主は大切に残しておいた梅桜松の鉢植えの枝を焚いて暖をとりもてなし、問われて零落の身の上を語る。。名は佐野源左衛門常世。一大事の時は直ぐに鎌倉に馳せ参じると語る。
旅の僧は実は諸国を廻って国の実情を把握していた北条時頼。
時頼は常世の忠誠真心をはかるため、後日関八州の後家人に招集をかける。破れ胴着や痩せ馬で駆けつけた常世に、時頼は正体をあかし、梅桜松ゆかりの領地を与える。
ツレが深井の面を付けるだけで、シテもワキも素面。珍しい。
能であって能でないと言われ、芝居のようである。
狂言「空腕(からうで)」
臆病者の太郎冠者が偽りの腕自慢を子細を承知している主人に大袈裟に語る。
(今回は野村萬斎がコミカルに演じていた)
能「井筒(いづつ)」
荒れ果てた秋の在原寺で、昔おとこ、または豆おとこと言われた在原業平と紀有常娘との筒井筒の恋物語が語られる。
女心をしみじみと演じていた。「序の舞」も思い入れ豊かに舞っていた。
小面が美しい能である。
能「枕慈童(まくらじどう)」
中国魏の文帝の臣下が、薬の水湧き出でるその源を見てくることを命ぜられ、山深く分け入ると、周の穆王(ぼくおう)に使えていたという慈童という少年に会う。周の時代といえば700年前だいうことになる。慈童は帝から仏徳を讃える二句の偈(げ)を記した枕を賜り山奥に追放の身となったが、その二句を菊の葉に書き写すと、葉の上に集まった露が薬水になり、それを飲んで不老不死になったと語る。
"泉は元より酒なれば… " と千鳥足になったりもする。
そして、慈童は「楽の舞」を作り物の菊の花に戯れるように舞う。
日本酒に菊水というのがあるが、多分ここから名をとったのでしょうね、ふふふっ。
鑑賞後、夕食をご馳走になり、当然、中華だったので、紹興酒をいただいてこちらもほろ酔い機嫌と相成りました。
能はまだまだ初心者もいいところだが、幽玄の世界に身も心も委ねて、落ち着いた心持ちになりたいな。
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