出雲大社への旅 そのV

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スローライフ日誌

2013年06月05日

いよいよ出雲大社
縁結びの神様、大国主大神(大黒様)を祀る。
予習して行ったので少し古代日本の歴史が分かりかけてきた。

60年目の遷座(遷宮)中。
ご神体は今年の5月10日に仮御殿から本殿への遷座をすました。
遷宮といっても屋根の葺き替えだけである。
十九社などはこれから建て変えられる、のかな。


二の鳥居
出雲大社境内の正門。一番高いところに有り勢いを感じるところなので「勢溜(せいだまり)」と言われるところ。
出雲大社には四つの鳥居がある。


四の鳥居、かな。としたら、銅鳥居という。1666年毛利輝元の孫網広が寄進。


先ず拝殿


出雲大社の神紋 二重亀甲剣花角。

 
拝殿正面
ここに上がって正式参拝した。
二礼四拍手一礼。


大注連縄 しめ縄とは不浄のものの侵入を禁ずる神垂(かみしで)をつけた縄。
向かって左側から編むのが島根地方独特のもの。大黒締めという。
遷座にあたってあたらしくされた。長さ13.5m、太さ最大で8m、重さ4t。日本最大。



本殿へ

遠くから拝察する。
ご本殿は屋根しか見えないな。千木(ちぎ)が天高く伸びている。
千木の先端が外削ぎ(地面に垂直)になっているのは祭神が男のしるし。
大社造りといって日本最古の神社建築様式。背景に八重山を従えた荘厳なものだ。


本殿の前にある玄関のようなもので、楼門である。
ここで本殿に拝礼した。

十九社
本殿の両脇東と西に十九社が建つ
10月になると国中から神々が集まって会議をする。そのための神々の宿舎
10月になると十九の入り口が開けられる。
出雲では10月は「神有月」という。


仮御殿
本殿修復が済むまでご神体はここにおられた。

平成12年に出土した本殿の巨大柱


赤いものがそれ。


この示された地点から発掘された。
本殿は正方形で、四角とその中間に1本づつそして真ん中に1本の巨大柱で50tもする檜皮葺の屋根を支えるのだ。
歴代建て替えの時は多少位置をづらしていたのだろう。


これはどこだったかな?


社家

大社にお仕えする神職の屋敷。
築地塀に囲まれている。
千家家などは出雲大社を守るようにと仰せつかって代々世襲されてきていて、その歴史は天皇家よりも古いとされる。
古代日本の地方官は国造(くにのみやっこ)といった。大化改新で、出雲大社の祭祀を司る(お世話する)名誉職としてその名称を用い、今日まで「国造(こくそう)と呼ばれて引き継がれている。

 

島根県立古代出雲歴史博物館


発掘された本殿の巨大柱


古代の大社を復元した模型。
47mの高さがあったとか。


取り払われた千木。


発掘された古墳時代の何百刀もの青銅の太刀。
下に斜めに展示されている。
上に立てて展示してあるのは同じ原料で復元された太刀。


弥生時代の青銅器。

 

松江へ

最後の訪問地松江市へ。

宍道湖湖畔である。
当然シジミ。昼食に出てシジミ汁に稚貝ほどの小さなサイズのシジミが入っている。
獲っていいのかしらと思いきや、ヤマトシジミだとか。小さいのだそうだ。

そして、ラフカディオハーンさん
が時間がなくて、遠くから家を見ただけ。
これが記念館らしい。


そして並ぶ武家屋敷

松江城に登った。
時間制約の中、高いところに立って見渡そうと。
松江城は松平氏によって10代234年にわたり出雲国を領した。18万6千石。大きい。松平家だもの。
1611年に完成。千鳥城ともいわれ、現存する12天守の一つ。古さで4番目である。


美しく見事だ。


望楼式天守閣から遠く歩いて来た武家屋敷など眺める。


寄木柱。肥え松の一本の柱の外側に板を揃えて寄せ合わせこれを鉄輪で締めて力強い柱にしている。


桐の階段
防火防腐のために使う。階段の上に引き板が仕掛けてあり、いざというときは下から敵が上がれないようにしてある。


古を訪ねたいい旅でした。
お世話になった皆さま有り難うございました。

[完]

 

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