今日で東日本日本大震災から3年が過ぎた。
3年前の当日から以降の、未曾有の参事が思い起こされる。
"おもてなし"などとお気軽には言っておれないはず。「思いやる」がなにより大切なはず。
さて、過日は能鑑賞でこころ落ち着くことができた。
金春会定期能。
金札(きんさつ)
伏見の里に大宮(神社)を造営するため、桓武天皇の勅使が伏見を訪れる。そこで千代を込めた竹の杖をついた老人と宮造営のために木を切る木尽くしの言葉を交わす。千代の松は切ってはならぬ、などなど。すると金色の文字で書かれたと金札が天より降ってくる。老人はその金札を読んでみよといい、伊勢大神宮が使わした天津太玉神(あまつふとだまのかみ)と明かす。
そこで伏見のいわれが明かされる。「伏見」とは「日本」のことである。いざなみいざなぎの尊が天の磐座から臥して見出した国なので、伏見とはこの秋津洲の名なのである、と。
金札を宮に祀り、ゆるがぬ御代となりにける、と。脇能であり祝能。
咲嘩(さっか) 狂言
主人が京の伯父に連歌の師匠になってもらいたく、家来の太郎冠者を京に使わす。太郎冠者は伯父を知らぬままに京に上る。そこで咲嘩というすっぱ(騙り者)に騙されて連れて帰る。それが天下切っての大泥棒。慌てた主人とちと足りない家来の騒動が可笑しい。
源氏供養
安居院の法印が石山寺の観世音に参詣の途中、一人の里女によびとめられ、自分は石山寺に籠り『源氏物語』を書き上げた紫式部の霊であると告げられる。
主人公の光源氏を供養しなかったので、自分はいまだ成仏出来ないでいる。どうか光源氏の供養と、私の菩提を弔ってくれろという。
夜もふけ法印が弔っているところに紫式部の亡霊が現われ、供に回向し、舞を舞う。
法印は、紫式部は石山観世音が仮の姿でこの世に現われ、『源氏物語』を書いて、この世が夢であることを人々に教える方便であったと知る。三番目物。
歌占(うたうら)
伊勢二見の神職渡会家次は諸国一見の旅の途中に急死するが、三日後に蘇生する。しかし地獄をみてきた恐怖に髪は真っ白に変ずる。今は和歌の文辞によって吉凶を判じる歌占を渡世とし、加賀国白山の麓に来た。
そこに一人の里人に連れられた、親をたづね歩いている子供がくる。その子が短冊を引くと、既に親に会っていると占いがでる。その親とは実にこの男巫子であった。奇しき再会を喜び、地獄の曲舞を舞い、狂乱から覚めて親子連れ立つ故郷に帰ってゆく。四番目物。
古に思いを遊び、ほんにこころ落ち着く一時であった。
この世は夢かも知れぬが、生ある限り、思いやりのこころを互いに尽くして心豊かに過ごしたいものだ。
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