こころの繋がり

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スローライフ日誌

2015年01月20日

今朝、「ときどきの便り 6」を読んで、淡い驚きを覚えた。
この「ときどきの便り」は、わが太極拳同好会の師範が、昨年まで続けて書かれてきたコメントが1000回を終えたので、完了したいとの事だったのを、全国の弟子たちがもっと続けてということで、ときどきの便りとして書き綴って下さっている。

今回の便りで、何とも懐かしい人の名が目に飛び込んできた。山崎宗次さん! 毎日新聞の記者で往年のテレビドラマ「事件記者」のモデルとも言われた人。
山崎さんから頂き大切にしているという文章を、わが師範が会社勤め現役の時に面倒をみていた女子社員から見せられ、師範自身いまだに初心に戻らせてくれる文章だと、昨年の瀬に彼女と会って思い出したと言う事だった。彼女とは年1度くらいは会っているそうだ。彼女は優秀なようで海外留学したりして、今は別の某大手の役員をしているらしい。

どんな文章かというと、「人生とは禍福あざなえる縄の如く交互にやってくるものです。照る日曇る日です。曇る日でも挫折することなくコツコツニコニコやっていれば、いつか誰かが認めてくれます。教養もそうで、将来一瞬の時に輝くことがあります。どうか自分を磨き、目に栄養をつけ、頑張って下さい。そして、やわらいだ雰囲気を身につけて、周囲の人びとに愛されながら社会に貢献して欲しいと願っています。」

そう、山崎さんはこの文章のとおりを自身実践していた人だった。どんなに困難な時でも暖かだった。
超多忙な記者のかたわら、私塾を運営していて、無料で学生など若者をジャーナリストに育てるべく活躍していた。400人は育てたそうだ。惜しむらくは60歳代かに頓死してしまった。人知れず心身の酷使だろう。
私は彼にある仕事を通じてお世話になり、以降一緒にゴルフをしたり飲んだり、そうその熟でスピーチも頼まれたりといいお付き合いだった。葬儀に出席した。多くの若人が葬送の合唱をしたり、棺を担いだりして別れを悔やんでいた。
もう30年近くも前の話か。

おかげさまで懐かしい人の名、いい思い出が甦ってきた。
素晴らしい人びとが、素晴らしいこころの触れ合いを大切にし、繋げて、生きている。
いい心持ちにさせていただいた。 

 

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