沖縄から帰宅

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スローライフ日誌

2015年01月25日

今朝、12時10分過ぎ、無事に沖縄旅行から帰宅した。
もうくたくた!
この歳で午前様はきつい。
そして、旅はかなりの強行軍だった。琉球の歴史を辿る旅だったので、殆どが石垣跡の踏破。
ツアー中、推定50歳代の男性が今日一日で1万6千歩歩いたとフーフー言っていたからかなりのものだった。
いずれにしてもも少し本格的に身体を鍛えなくてはなるまい。

沖縄の歴史を初めて垣間見ることが出来た。
2度ほど沖縄には行っているが、仕事や単なる旅だったので、琉球、そして沖縄の歴史をこれだけ学べたのは有り難かった。
嫋やかな琉球国の信仰厚い風習そして豪族たちの争い、薩摩藩ひいては幕府の圧政と併合、明治政府の廃藩置県による沖縄県成立、そして、第二次大戦での沖縄戦、アメリカ占領、日本に返還と、小さな沖縄の地に世界文化遺産と世界最大の米軍基地が併存している、複雑でたいへんな地である。おおいに考えさせられた。

出発前に、87歳になる友人に、沖縄行きの話をした。「ひめゆりの塔などにはとても行けない。戦争の痛ましさ無残さは直視できないでいる。観光旅行ではなく琉球の歴史を知りたくて」と。
と、彼女は、「沖縄には何であれ、戦争を知っている私にはとても行くことが出来ない。行くことのできる貴方たちが語り継いで頂戴」と。彼女は元伯爵家に嫁いで、東京に連れてこられた琉球王朝最後の王尚さんのお嬢さんかどなたかが身内に嫁がれてきた縁があるそうだ。
画家の安野光雅さんが著書『皇后美智子さまのうた』で、皇后美智子さまの戦争を哀しむ御歌が多くあるのにふれ、両陛下や私と今の若い人たちとの違いは、「戦争があったことだ」と書いているのがとても印象深いのだが、それと同じわが友人の思いであろう。
現地のガイドさんは50代後半かの女性だったが、名ガイドさんで、二人でちょっと立ち話したとき話してくれた。「は数年前に死んだが、激戦地の濠で一人生き残った人だった。濠の前方にいて耳の脇を大砲が通りぬけて後ろの人びとは皆即死だった。そんな話は殆ど口にせずその地にも二度と再び行かなかった」と。

いろいろと考えさせられた、いい旅だった。
おいおい、旅の記録を綴ろう。 

 

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