オーストリアは雪は積もっていますが、いつもだと夜の気温は零下数度まで下がるのに、私たちが行っているあいだは昼間は5、6度で夜は零下にならずに、比較的寒さに凍えることはありませんでした。
ウイーン郊外のホテルを9時に出発。
ホテルの駅を挟んで隣りに、「オバラ」というウイーンで流行だしたお菓子やさんの工場があり、そのお店の入り口。
駅に市電が入っている。
ウイーンは、電車やバスが便利に走っている。
果物やさん。
ウイーンからメルクまでバスで1時間半の旅。
珍しく風力発電の風車があった。
ドイツの旅と異なり今回の旅ではこれ以外は見なかった。
ドナウ川のヴァッハウ渓谷沿いに走っています。
両側には葡萄畑が続き、呑兵衛にとってはワインの産地でも有名。
デュルンシュタイン
丘の上に見えるケーンリンガー城趾。
この城に、12世紀末、イギリスのリチャード獅子王は第3回十字軍遠征から勝利して帰還の途中、オーストリアのレオポルド公の怒りにふれ、幽閉された。身代金の届く1年間、リチャード王はワイン三昧のホリデーを過ごしたらしい。
道の途中に、ヴァッハウ渓谷の遊覧船の案内。
聖堂参事会修道院教会へ
水色の屋根が見える。
ヴァッハウ渓谷沿いに歩く。
教会への入り口
これも入り口
メルクへ。
メルクは10世紀〜12世紀はオーストリアの首都であった。
向こうにメルクの修道院が見えてきた。
その前に、昼食を。
日の丸もたっています。
メルク修道院
11世紀、この地の統治者バーベンブルグ家がベネディクト派の修道院として建立。
その後を統帥権を継いだハプスブルグ家が18世紀に改築。
ハプスブルグ・バロックの至宝とまで言われる華麗な姿になった。
マリー・アントワネットがフランスへの腰入れの際に一泊している。
前庭から望む。
入り口
中庭
向かって右側は今も修道院の学校として使われている。
左側が博物館。
改築に、寄贈に贅を尽くしたハプスブルグ家の女帝マリア・テレジアとその夫君の絵。
博物館側の回廊。
聖ベネディクト
象牙の宝物入れ。
王室の寄贈品で、それらには王家の紋双頭の鷲が彫られている。
修道院と付属教会の全体図。
大理石の広間マルモアザール。
付属教会
中世の古い手書き本1888冊や古書蔵書10万冊を誇る図書館。
このような図書館が3室あるという。
手書き本。
螺旋階段。騙し階段で3階ほどで終わる。底は鏡。
華麗な装飾の教会。
向かって左側のつき出した中間の高い部分がハプスブルグ家の祈りの場。
余りにも華麗な修道院なので少し驚いた。
ベネディクト派は清貧を徳としたのではなかったか。
『薔薇の名前』という小説の語り手で、メルク修道院出身で若かりし頃の修行を物語っている修道僧の感じでは、こんなに煌びやかな修道院は想像していなかった。もっともその設定は14世紀頃の話しで、ハプスブルグ家の寄進が強力になる前のことではあるが。
そして、ザルツブルグへ。
暫くドナウ川沿いに走ります。
辺りは雪におおわれています。
ドナウ川に別れを告げて、
モントゼーのサービスエリアで一休み。
さあ、ザルツブルグに着きました。
今晩はザルツブルグ泊。
[海外旅行記]
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