オーストリアの旅

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3日目

ザルツブルグ〜ザルツカンマグート地方〜グラーツ

 

ザルツブルグ

「塩の城」という意の名のこの町は、周辺の岩塩鉱から産出される塩の取引をザルツァッハ川の水運で栄えた。
700年に聖ルペルトがザンクト・ペーター教会を建立し、798年に大司教区に昇格。
大司教が領主を兼ねて統治する教会国家が1000年も続き、壮麗な教会や宮殿を誇る大都市に発達した。
1756年にモーツアルトの生まれた町。

<新市街>


ミラベル庭園の後ろに遠くホーエンザルツブルグ城塞がみえます。


ミラベル宮殿ミラベル庭園
ミラベルとは「美しい眺め」という意味。
大司教ヴォルフ・ディートリヒが愛人サロメ・アルトのために1606年に建てた宮殿。
1818年火災で焼失、再建された。
現在は市役所や図書館として使われている。
映画「サウンド・オブ・ミュージック」のロケに使われた。
ザルツブルグにはその他にも幾つかロケに使われた場所がある。
私がトラップ一家の話を映画でみたのは、大昔、「菩提樹」というドイツ映画が最初である。


モーツアルトの住居。
モーツアルト一家は1773年にこの2階に引っ越した。
父レオポルドはここで死んだ。


三位一体教会かな。


ザッハー・ザルツブルグ・ホテル


カラヤンの生家とその前で指揮棒をふるカラヤン像。

<旧市街>

このザルツァッハ川を隔てて、向こう側が旧市街となる。
ホーエンザルツブルグ城塞や大聖堂などがある。


ザルツァッハ川


ゲトラカデガッセ(目抜き通り)
それぞれの店の看板が素敵。


マクドナルドの看板もザルツブルグでは上品。


ザラの看板。
ザラはスペインのユニクロと言われ日本にも出店しているが、オーストリアでは多く目立っていた。


笠やなどセンスの良い看板が並ぶ。


モーツアルトの生家。
この4階の小さな3部屋がモーツアルトの一家借家だった。
現在、モーツアルトが使用した楽器、自筆の楽譜や手紙などが展示されている。
モーツアルトは実に筆まめで、『モーツアルトの手紙』岩波文庫上下はたいへんに興味深い。
まぁ今のように携帯電話やメールがあるわけでもなく、手紙を書くしかなかったのだが。
そして、『旅の日のモーツアルト』メーリケ著岩波文庫もモーツアルトファンなら必読。モーツアルトは幼い頃から演奏旅行に出ずっ張りだった。そんな不世出の天才音楽家モーツアルトに傾倒していた詩人メーリケが、モーツアルトがプラーク( プラハ)から作曲の依頼を受けたマリア・テレジアのための祝祭オペラ「ドン・ジョバンニ」をプラークで初演するために向かう1日の物語りを詩情豊かに描いている小品。


ゲトライデガッセからは建物の間や中を通り抜ける小道がいろいろとある。

小道に屋台もでている。


通り抜けて大学広場に出てきた。
屋台がたくさんでている。


パン屋


塩屋。
ステックの中にいろいろの塩がはいっている。
砕いた岩塩の固まりも。


果物や。


大学の一角。


セント・ペーター教会の尖塔越しに城塞が浮かぶ。
セント・ペーター教会は、キリスト教布教のために696年にこの地に僧院が建てられ、この地の発祥の地であり、ドイツ語圏最古の修道院の一つ。


祝祭劇場
裏山に見えるメンヒスベルグの岸壁を彫り削って建てられている。
フェルゼンライトシューレ、大ホール、モーツアルトのためのホール(小ホール)等があり、夏のザルツブルグ音楽祭の主会場となる。
フェルゼンライトシューレは「岩の乗馬学校」という意。ここに昔大司教の騎兵学校があったから。

大聖堂
774年に創設。
モーツアルトはここで洗礼を受け、オルガン奏者も務めた。
近年では、カラヤンの葬儀が行われた。


パイプオルガン


説教段も見事。


モーツアルトが洗礼を受けた洗礼盤。

レジデンツ広場


レジデンツ
大司教の平時の執務、居城。
現在はいろいろの博物館になっている。


奥の山の上にあるホーエンザルツブルグ城塞は戦争や動乱に備えた城。

モーツアルト広場


モーツアルトの像

お菓子の老舗カフェ「フュルスト」へ。
小さいく気さくなカフェ。
アップル・ケーキと飲みやすいコーヒー「メランジェ」を注文。
うーん、美味しいー!


ケーキなど手頃な値段で種類も多い。


(自宅で撮影)
そして、日本でも有名なモーツアルトクーゲル
これはこのフュルストが1890年にはじめてつくった。本家本元。
で、青いものが本物
因みにクーゲルとはボールとか丸い物の意かな。
色鮮やかなものは、大手菓子やが真似て作り始めたもので、日本にはこの色鮮やかなものが平行輸入されて、安く大量に売られている。
この色鮮やかなものも現地で購入したが。

 

ザルツブルグに別れを告げて、ザルツカンマーグート地方に向かいます。
ザルツブルグの南東一帯は、2000m級の山々と70以上の湖がある美しい大自然が広がる。
ザルツカンマーグートとは「塩の宝庫」の意で、岩塩を産出する地である。
塩は昔は「白い黄金」ともいわれ高値であった。
そのためこの地方はハプスブルグ家の直轄御料地で、帝国の財政を支えた。

先ずはモントゼー
モントゼーとは、三日月湖の意。
この地には、743年に創設されたベネディクト派修道院付属の、写字生を養成する筆記学校があったことでも有名。
印刷術がない頃は全て手書きだった。

教区教会
ハプスブルグ家の息のかかった教会はどこも華麗だ。


辺りの風景


スキーを手にしてのウォーキングが盛んだ。

次はハルシュタットを目指します。
2000m級の雪景色は素晴らしい。
ついでに湖も川も殆ど雪を被っている。

ハルシュタット到着。
ハルシュタット湖に沿って、絵に描いたような美しい町。
夏には人混みで大賑わいだそうだが、うれしいことに貸し切り状態!
実は紀元前1000〜500年頃、裏山に埋もれる豊富な岩塩を求めてケルト民族が移住してきて、「ハルシュタット時代」という先史時代の1時期を築いている。
ハルシュタット塩抗は、世界最古の塩抗で現在も操業中。


湖畔に沿ったゼー通り。


小さな教会


昔からの抗夫の家が山に張り付いて建てられている。


昔の抗夫の石像。


絵のように美しいハルシュタット湖畔

 

グラーツに向けて出発。
あの山の向こうまで。
2時間のドライブです。

グラーツ泊。

 

 

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