朝、ホテルの窓から。
遠くに名の知れたゴミ焼却場の煙突とシュテファン寺院の尖塔かな、が見えます。
ホテルの位置している所は、プラータ付近。
ウイーン市街の南東にあたる。
プラータは、ドナウ川沿いの草地と森の広がるハプスブルグ家の御狩場だったところ。
1873年(明治6年) 、日本も参加した万国博覧会の会場となった。
プラータの森の入り口には大観覧車がある。映画「第三の男」での撮影現場となる。
観覧車を望む。
ホテルの隣りには、古代戦車のような二頭立て馬車の競馬場がある。
現在も開発がすすみ、近くに大きなメッセ会場がある。
さて今日は完全フリーの日。
一人でウイーンの街を散策する。
タクシーで行こうと思ったが、みんなに笑われ、昨日、地下鉄の乗車学習で覚えた地下鉄U2とDという路面電車を乗り継いで、ベルヴェデーレ宮殿に行く。
結局数人と一緒になった。
ベルヴェデーレ上宮で、世紀末の画家クリムトの「接吻」やシーレの「死と乙女」などを鑑賞。
クリムトやシーレの絵にはたいへんに惹かれていたので、満足。
次に一人でD線でオペラ座まで戻って、徒歩で王宮へ。
シシィの大ファンなのでシシィ博物館は必見。
ジャン・デ・カール著『麗しの皇妃エリザヘート』中公文庫を読んだり、ヴィスコンティの映画「神々の黄昏」を観てシシィ役のロミー・シュナイダーに憧れたりと、若き日はたいへんだったな。
余談だが、現実でも貴族の血を引くロミー・シュナイダーは、アラン・ドロンに一目惚れ。婚約まで漕ぎ着けたが振られ、悲惨な最期を遂げている。若きアラン・ドロンはそれはそれは魅力的でしたよ。
そんなシシィファンにとってはショックな情報をこのシシィ博物館で目の当たりにしたのだった。
先ずは、王宮入り口のミヒャエル門の中で入場券を購入。これで、銀器コレクションと皇帝の部屋にも入場できる。
で、順序通りに先ず銀器コレクションを観た。
これが凄いのなんのって。まあ一口では説明できない素晴らしい銀器金器の数々数々。ここで殆ど疲れ切った!
そして、シシィ博物館へ。
ドレスや日用品小物、乗馬用具などが展示。
若い頃の体型を保つための体操器具。自慢の黒髪の整髪には朝晩それぞれ1時間かけ、シャンプー剤も特別な物を。
等々が展示されて、そして、殺害された後の世論、新聞が壁一面に映し出される。
"王妃としての役割を全くしなかった女性。税金の無駄遣いだけした"などなど。
存命中は殆ど国民に感心を持たれていなかったらしい?!!!
解説は、皇太子の自殺(マイヤーリンクの悲劇)や自分の殺害(旅先スイス・ジュネーブ)で、悲劇の皇妃としてマーケティングされ始めたと、名言していた。
ショック。
気を持ち直して、皇帝の部屋を通過して外に出た。
もうかれこれ2時を回った。
入り口へ戻って、そこのカフェでアップル・パイとメランジェを頂く。
オペラ座まで戻り、オペラ座の脇にあるアルカディアという音楽ショップでお土産など買って、得意の地下鉄U2でホテルまで無事帰還。
ホテルの最上階のジムからの景色がいいと聞いたの見に行く。
「今日は晴天で眺めがいいですよ、曇りだとさっぱり」と、気持ちのいいスタッフの対応。
ドナウ・タワーと国連関連の建物。
そう、ドナウ川を挟んで直ぐ向こうには国連都市が広がる。
ホテル隣りの石油系大会社。
総ガラス張り。少しでも日当たりを求めてか。
夕食は郊外のホイリゲで。
ウイーンの北部、ウィーンの森方面、ドナウ川沿いのハイリゲンシュタット地方。
奇麗というか変ったゴミ焼却場やベートーベンの住んで居た家などを通っていく。
夜なので撮影は無理だった。
「ホイリゲ」とは、「今年の」という意。葡萄酒の新酒を振る舞う大きなワイナリーのこともいう。
季節外れのため、ここも完全に貸し切り状態。大レストラン、屋外の葡萄の木の下も含めれば400席にはなるというところ。
アコーディオンとバイオリンの生演奏付だ。
ウイーン泊。
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