エジプトの旅 7日目「ルクソール西岸、東岸、そしてギザへ」

エジプト悠久の旅

 ルクソール西岸は「死の都」といわれ、葬祭殿や、王家の谷、王妃の谷、貴族の墓があり、合わせて100以上はあろうか。

 東岸は「生の都」。神殿や宮殿、貴族の住居があった。現在も街の中心はこちら。ホテル、駅、お店などが建ち並ぶ。

 そして夜行寝台ナイルエキスプレスでギザに戻る。

先ずは西岸へ

西岸はクルナ村である。(来るな、行くな? 失礼。)近世にはいって盗掘で集まった人々の住みかだった。

現在はそのようなことはなく、逆に墳墓の管理をしていたり、アラバスター製の土産物などを売って質素に暮らしている。

西岸にはいってすぐの村はニュー・クルナ村という。

 (クルナ村の家並)

ハトシェプスト女王殿

 エジプト初の女王ハトシェプスト女王が父王トトメス1世そして自らのために建てた葬祭殿。今から3500年前のこと。

 女王のただ一人の愛人で、信頼の厚かった建設大臣に造らせた、とのガイドさんの説明。切り立った岩を背景に扇形に広がった地形を活かして掘り造られた。

手前から広大な第1テラス、傾斜道を登って第2テラス、さらに傾斜道を登って第3テラスと上がる。

 

 (第1テラス奥)

岩を掘り削って造られている。

 (第2テラスの壁に描かれた壁画)

 (満天の星空を色鮮やかに描いてある)

 (第3テラスへ)

 (第3テラスの奥にある至聖所)

第2テラスから前方を臨む。中央やや右、小高いところに現在発掘研究をおこなっているオランダ人研究者たちの住いが作られている。

王家の谷

トトメス1世以来ここに王の岩窟墓が造られるようになった。現在60の墓が発見されている。

前にあるトラムに乗って王墓が集まっているところまで移動。

このように、岩をくり貫いた岩窟墓が連なる。

ツタンカーメン王墓

 入り口も中も質素。当たり前。ここに王墓ありとでかでかと記してあったら、盗掘にあう! そうでなくても殆どの王墓が荒らされたのだから。

 ツタンカーメン王の墓は、ラムセス6世だか誰だかの墓を造るときに埋もれてしまっていて、20世紀初頭まで発見されなかった。それにしても、小さい墓だ

 ツタンカーメン王のミイラは現在もここの玄室の石棺の中に納められている。他の遺物の殆どは、カイロにあるフジプト考古学博物館に納められてている(というよりは、発掘者との協議の末、やっとかっぱわられずにエジプトの博物館に納められたということだと思う)。

 (ツタンカーメン王墓の説明パネル)

 (ツタンカーメン王墓の表札)

 (入り口。写真はここまで)

中に入ったが、ほんとに小さくて意外だった。周りの挿画なども殆どない。それともわたしの記憶にないだけなのかな。

ここの石棺の中にツタンカーメン王のミイラが保管されている

その他、多くの王墓

 墓の中に入ると、下降通路や前室、玄室と壁に再生復活を果たすための色彩もきれいな挿画が施されているのがまだ残っているものが多いそれは見事である。それによって歴史が解明されているのである。凄い。

 カメラはフラッシュをたくので禁止。

 (これは誰のだったっけ、ラムセス2世?)

 (ラムセス6世の墓入り口)

 (アメンヘテプ2世?)

 (ラムセス9世の墓入り口)

雲も木陰も何も無い炎天下、乾燥して密封されていたので、今日まで保存状態がいいのである

王たちは、3500年後、このような形で復活すると考えていたであろうか。

メムノンの巨像

平地に突然現れる2体の座像。

アメンヘテプ3世の像で、後ろに葬祭殿があったが、後のメルエンプタハ王が自分の葬祭殿建設の建材にと破壊してしまった。

 (高さ18m)

 (像の左後ろにある黄色の花をつけた木)

 (後ろに広がる葬祭殿跡)

ナイル川を渡って東岸へ

ルクソール博物館

 (ルクソール博物館外観)

ルクソールのいろいろの遺跡から発掘されたものが展示されている。

有名なツタンカーメン王の墓から発見されたツタンカーメン王の木造の立像は貸し出し中でいなく、残念。もう一つのシンボル、副葬品の牡牛の頭の形をしたハトホル神はあった

 (ツタンカーメン王墓から。ハトホル神)

 (アメンヘテプ3世の頭部)

 (カルナック神殿から出土。アメン神として現されているツタンカーメン王) ツタンカーメン王は、先代のアメンヘテプ4世(イクナテン王)の異教から元のアメン神信仰に戻した。

 (トトメス3世のレリーフ)

 当時、と言っても多分トトメス3世かツタンカーメン王のものだったはず。戦車。2頭立ての馬車で人は立って御していた。

 (日本の菊の花に似た63個のロゼッタ飾り)

ツタンカーメン王墓から。王の棺を覆っていた。637個のうち63個がここに。残りはカイロのエジプト考古学博物館のツタンカーメン王室にある。

ツタンカーメン王墓から発見。ツタンカーメン王の使用していたベッド。意外と小さい。

 (アメンヘテプ4世=イクナテン王)

国家の最高神をアメン神からアテン神に代えた。しかし不評で、次のツタンカーメン王はまたもとのアメン神信仰に戻した。

* 「エジプト人」 ワルタリ著 飯島淳秀訳 角川文庫

 イクナテン王と異母兄弟で、陰謀で生まれて直ぐに葦舟で流され、医師夫婦に拾われ育ったシヌヘという男を語り部に仕立てた、フィンランド人作家の長編歴史小説。1945年に発刊。

 イクナテン王は、唯一神のアテン神を崇め、平和と平等を唱えて、多神教による腐敗しきった政治を粛清しようと遷都をした。現代の目で見れば当たり前のことであり、キリスト教的考えであるが、当時は異端でしかなかったのであろう。

ルクソール博物館 特別室

 1987年、ルクソール神殿の中庭で、1970年完成のアスワンハイダムのため地下水が高くなり、ルクソール地域の遺跡が危険な状態なので地盤沈下の検査をおこなっていたところ、地下隠し場が発見され、24体もの傑作が出土した。アッシリア軍の侵攻に、神官たちが破壊を恐れて隠した物。

 それらが展示されている部屋。

 (アメンヘテプ3世の立像)

中央に据えられている。

 (ホルエムヘブ王と創造神アトム神)

王は神に比べれば小さいもの。

 (ホルエムヘブ王とアメン神)

神がやさしく王の肩を支えている。

ライトアップされたルクソール神殿

 中王国時代、紀元前1990年ころにはこの地に神殿が建設されていた。今から4000年前のこと。

 カルナック神殿の中心をなすアメン大神殿の付属神殿としてたてられたもの。3km離れたアメン大神殿とは参道で繋がっていた。

 年に1度、アメン神がルクソール神殿を訪れるオプト大祭の際の道が参道で、両側に人頭のスフインクスが並んでいる。

 歴代王朝が増築改築を重ねた。例によって建設王ラムセス2世の代に最盛か。アレキサンダー大王が再建したオペト祭の間はアレキサンダー大王の間としてある。

 神殿の典型スフィンクスの参道があり、塔門、中庭、列柱室、至聖所。奥へ行くほど位の高い人の場所となり、天井が付くようになる。

 ようやく古代エジプトのことが少し分かってきたところで、そろそろ旅も終盤に差し掛かるか。

 (第1塔門)

 塔門前には、ラムセス2世の大座像一対立像一体が残っている。立像は愛妃ネフェルターリの像

 そして、一本のオベリスク。一対だったが、もう一方は現在パリのコンコルド広場にある。エジプト人のガイドさん曰く「フランス人がかっぱらっていった!」。

第1塔門の前方に参道が開けている。両側に人頭のスフィンクスが並ぶ

第1塔門には、ラムセス2世の宿敵ヒッタイトとの「カディシュの戦い」での勝利が描かれている

 (恨みの、台座だけ残るオベリスクあと)

 

 (ラムセス2世の中庭を望む。)

 (ラムセス2世の中庭)

 (大列柱室)

 

アメンヘテプ3世の中庭からアレクサンダー大王の間を望む。

この中庭あたりで、1987年、地番沈下の調査をしていて、24体もの傑作な像が発見された。

寝台特急ナイルエキスプレスでギザへ

ルクソール駅

神殿を意識しているな。

 (駅入り口)

 (駅の構内)

夜9:50。10:00出発。

 (寝台特急ナイルエキスプレスに乗り込む)

 (寝台車内の通路)

 (部屋の中)

椅子の背もたれが下りてベッドになる。丸いのは開けると洗面台。水がしょぼしょぼと出る。

右横のドアは開けるとスウィート部屋になる。

写真写りは少しいいようだが、実際はしょぼしょぼ、かな。

 

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