英国の旅

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4日目


宿のアルベストン・マナー。
この庭で、16世紀終わり『真夏の夜の夢』が初演された。


庭の反対側に大きな木がある。
これを舞台の背景に使ったのかな。

車窓からようやく日が昇る。

8時過ぎ。

<コッツウォルズ地方>へ

ストラトフォード・アポン・エイボンから西南へ42km。バスで1時間。

 

ボートン・オン・ザ・ウォーター

名の通り、村の真ん中をウィンドラッシュ川が流れ、両側が憩いの場となっている。


数十台のクラシックカーが展示されているという自動車博物館。


道路はSLOWで。


築200年の三連アーチ石橋。


とあるお屋敷を発見。
門に鷲の彫刻があり、立派。マナーハウスだろう。


そのお屋敷の脇に、「パブリック・フット・パス」の標識があり、下のような散歩道となっている。
パブリック・パスとは、領主(マナー)などの広大な領地(放牧地などにも)に、散歩好きなイギリス庶民が歩く権利を主張して公的に歩道をつくらせたもの。これに関しては、地主と庶民との紛争の種に結構なってきた。
イギリス・ミステリー小説のねたにもよく取り上げられるケースだ。

 

バイブリー

民芸家・デザイナーとして名高いウィリアム・モリスが、「イングランドでもっとも美しい村」として好んだ風景。
彼の壁紙などのモチーフになる葉や花、鳥などがいたるところにある。
村に一軒しかないマスや土産物の売店で、ウィリアム・モリス柄の手提げ袋をゲット。彼の特徴である青色地ではなかったが。

村の中心には透き通るようなコルン川が流れている。
ここではたくさんのマスが泳いでいて、マスの養殖場(バンブリー・トラウト・ファーム)も名高い。

川向こうにあるのは、アーリントン・ロウと呼ばれる14世紀に羊毛取引所として建てられ、繁栄期には織物工場や職人の住まいだった家並み。
現在はナショナル・トラストが管理し、住居として使われている。


ナショナル・トラストやアーリントン・ロウの記が読める。


澄んだコルン川の川面。


アーリントン・ロウのフット・パス。


コルン川が続く。

昼食
この日の昼食は、マナー・ハウスで、アフタヌーン・ティー
アフタヌーン・ティーとは、本来お茶のはず。英国貴族の正式なディナーは遅いので、それまでのお茶。4時頃頂くのではないかしら。
それをお昼に代用された感じ。
だって、お茶とサンドイッチ、スコーン、ショート・ブレッドなどですよ。
これはどうみたって、正式の食事ではない?!
因みに、ハイ・ティーもある。昔の小作人たちは夕食の習慣はなく、遅いお茶ですませた。それをハイ・ティーといったのだ。

もう一つ。お昼で騙されたのが、チップ・アンド・フィッシュ
チップ・アンド・フィッシュとは、鱈のフライにポテトチップスをたっぷり添えた、いわばファーストフード。街の屋台で熱々のものを新聞紙にくるんで立ち食いしている図を映画などで見ますでしょう。

日本人は、知らないものに大騒ぎして、アフタヌーン・ティーだのチップ・アンド・フィッシュなどと聞き囓り有り難がっちゃうのだ。
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昼食のマナーハウスへ。


正面。
このマナーハウスで昼食のアフタヌーン・ティーを。
ホテルやレストラン、結婚式会場としてPRに勤めていた。
3階まで上ってみた。踊り場に、螺鈿や漆の東洋風のコレクションが展示してあった。
目の前は、見晴るかす放牧地であった。地平線までここの所有地だったのだろう。今は…。


中庭。


玄関前に太い薪が飾られている。

カッスルクーム

昔のままの姿を残す村。
100年前に残された写真と殆ど変らないそうだ。
イギリスの原風景。

 * ここへ来る西脇の道沿いの村テットベリーにはロイヤルファミリーの別邸が多い。
チャールズ皇太子がはじめてダイアナ妃にブレゼントしたのがここにある別邸だったか、その近くにカミラ夫人の別邸もあったとかなかったとか…)


街の交差点にある古い建物。いずれ穀物取引所が羊毛取引所。


羊毛商館だったかな。


ここにもマナーハウス。ホテルと書いてある。

 

<バース>

お風呂のバスの語源となった街。
古代ローマが保養地として2000年前に造った街。


車窓からの街並み。


ロイヤル・クレッセント

私はここが観たくてこのツアーに参加した!!!

上流階級の別荘として、1774年に完成した30軒の邸宅が三日月型に弧を描いているテラスハウス。114本のイオニア式の柱がテラスを飾る。
イギリスの小説で、例えばジェーン・オースティンの『高慢と偏見』などに、貴族が社交や保養の地としてバースに邸宅を構える話しがよく出てくるし、映画やドラマでこのロイヤル・クレッセントが美しく映し出され、是非一度観てみたかったのだ。
納得。


バース寺院

973年、初のイングランド統一を成し遂げたサクソン王エドガーの戴冠式が行われた寺院
その後修道院生活が敗退し廃墟と化した。
現在の建物は1617年に完成。

寺院に向かって広場の右側がローマ浴場。


ローマ浴場(博物館)

西暦65年頃、ローマ軍がここに温泉を見つけ浴場を築いた
ローマの女神ミネルバに捧げられた。
ローマ軍撤退とともに荒廃。
19世紀末に遺跡として発掘される。
いまだにお湯は湧き出ていて、溢れる湯をエイボン川へ流し出す仕組みは依然として機能している!!

温泉は赤痢菌とかに汚染されているとかで、けっして触ってはいけないと。

大浴場の他に幾つか小浴場がある。


大浴場


大浴場の地上階テラスからバース寺院を臨む。


ローマ衣装を身につけたエキストラ。
地上階の回廊テラスにはローマの英雄像が。


発掘された太陽神? など。


ローマの祭壇、だったかな。


発掘された女神ミネルバの頭部。


小浴場。

 * 英国旅行から帰った翌日だったか、CATVで英国のドラマ「ボーン・キッカー」というのを観た。偶然それはバースの考古学学者チームの話しで、ローマ人とケルト人の攻防の話しをもとに、密かに発掘を企てている。折からローマ浴場地下で大崩落がおき、それに乗じて地下深く潜り込む。大崩落は大爆発が原因。ローマ軍と戦ったケルトの女王ブーディッカと浴場建設にあたった発明家であり戦士でもあったローマ人クインタヌスが許されぬ恋に落ち、クインタヌスがブーディッカに勝利するが女王を汚させぬために浴場の地下深くに閉じ込め、開けたら爆発する仕組みを施してあったとみる。ブーディッカらしいミイラを発見した女性考古学者は興奮し、後ろ髪を引かれながらもその場から命からがら逃れ出る、とまあこういったストーリー。
バース博物館で遺跡の発掘を目の当たりにしてきたばかりだったので、こちらもこの奇遇にたいへんと興奮した次第。 


暮れなずむバース市街


浴場から寺院の裏手に出ました。


エイヴォン川畔から大寺院を。


エイヴォン川に架かるパルトニー橋。
通路は商店街となっている。
イタリア・フィレンツェ市のベッキオ橋に似せて建設?


川沿いの街並み。


遠くに教会の尖塔が。
石畳の道。


また、宿のあるストラトフォード・アポン・エイボンへ。
2時間30分のバスの旅。暗くて外は何も見えないしっと…。

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