古代ギリシャでは、デルフィは「大地のへそ」と考えられていた。
イオニア海のかなり入りこんだコリンティアコス湾の中ほどをのぞむ、パルナソス山の中腹にある。
起源は紀元前2000年頃に遡る。当時は大地の女神ガイアが神託をおこなっていた。
ミケーネ時代の終り頃は、ゼウスの息子アポロンが神託を授けるようになり、紀元前6世紀には個人や都市国家からの貢物で全盛を迎える。
紀元前5世紀には衰退を始め、381年、ビザンチン帝国テオドシウス帝の異教禁止令により破壊された。
1892年に発掘が本格化するまで、遺跡は地中に埋もれていた。
先ずはここを見学。
デルフィ遺跡の発掘品が展示されている。
(白い鳥が烏にされた神話)
(文字が刻まれている)
(大地のへそ。本物)
(戦車の御者 青銅製 紀元前475年作)
腕の静脈や足先の動き、衣のひだなど、繊細な描写が凄い。
シチリア島の僭主ポリザロスが奉納した。
アテネの柱廊。ペルシャ戦争(B.C.492〜479)の勝利を記念してアテネが戦利品を奉納した。
急な石段が上に続く。
(壁に文字がきざまれている。)
遠く中央にアテナの聖域が見える。
(大地のへそ。模造。本物は博物館)
アポロ神殿正面入り口
アポロの聖域全景。ずっと下から登ってきた。手前は劇場跡。
そして、競技場跡。一番高いところに何故あったのか。疲れたぁ。
柱は、このようものを積み重ねて、真ん中のくり貫いてある穴に鉛を入れ通して建て支えた。
カスタリアの泉がこの奥にある。貯水槽。大木はすずかけ(プラタナス)
お告げをする巫女や参拝者はここで身を清めた。
午後は、オリンピアに向けてまたひたすらバスの長旅約210km。
イオニア海のコリンティアコス湾に沿って、デルフィからナフパクトス(レパント)まで西に進み、湾を渡ってペロポネソス半島に入って、オリンピアまで南下する。
先ず、デルフィの麓の町イテアに戻って昼食。
目の前に、イオニア海コリンティアコス湾が広がる。
途中にボーキサイト鉱山。露天掘りである。
ナフパクトス。
昔はレパントといわれ、1571年スペイン王フィリプ2世が、地中海交易を脅かしていたオスマン-トルコ海軍を破ったレパントの海戦の場。
この橋を渡る予定が、ロープが一本火が出てやけてしまい、現在不通とのこと。
旧来のフェリーで対岸ペロポネソス半島のリオの町までゆく。20分くらい。
この橋は昨年のオリンピックに合わせて突貫工事で作ったらしい。
いとものんびり。ギリシャ的でまことによろしい。
リオ、ペトラと通って、オリンピアへひた走る。
[ギリシャの旅]
Copyright © Etsuko Shinozaki 2003-2015 all rights reserved