「オリンピアの遺跡、ミケーネの遺跡見学」
ギリシャの旅
ゼウスを祀る神域として、紀元前2000年頃から栄える。
紀元前8世紀からは、オリンピックの開催地として発展。
ローマ皇帝テオドシウスの異教禁止令により、紀元後393年のオリンピック廃止以降は衰退。
その後の大地震により地中に埋没していたが、19世紀末に始まったドイツ人たちの発掘調査により、再び地上にあらわれた。
ヘラ神殿。
手前でオリンピックの聖火が点火される儀式が執り行われる。
オリンピック競技場。当時のゴールラインが残る。
女性の観戦は許されなかった。3万人が観戦。
皇帝ネロが建てた凱旋門。
戦いに勝った戦士の通用門。
アテネのパルテノン神殿に劣らぬ壮大さを誇ったゼウス神殿址。
可憐な花が咲いていた。
闘技場。
アイリスに似ている。
史跡の傍を流れるクラディオス川。神話ではいろいろと曰くのある川。
ギリシャの道端にはこうした多くの交通安全を祈念する祠がある。
いわば道祖神のようなものか。
史跡から抜けてバス停留場まで歩く。
オリンピア歴史博物館。
山々を迂回し、山脈を幾つも越えて、ミケーネまでまたバスの旅。
メガロポリ、トリポリなどの町を通過して。
スパルタはあっちの方向とガイドさん。世界史の教科書で覚えた地名がどんどん出てくる。
いったんイオニア海に出る。
山道を、ジプシーの一行が小型バンに荷物をいっぱい積んで走る。
突然の豪雨に襲われる。
この時期は雨季なので、こうした天候は当たり前。
ギリシャの季節は、日本同様に四季がはっきりしている。緯度的にもほぼ日本と同じ。
山の中に石炭火力発電所の煙。送電線。
突然ですが、トイレです。
ギリシャでは、使用後の紙は外の篭に捨てるのが鉄則です。
すぐに詰まってしまうから。
そして、殆どのところで便座はありません。
辺りはオレンジ畑。
ギリシャのオレンジは小さくて甘い。
1kg1ユーロ以下で沿道の屋台、市場でたくさん売っている。
ママレードもギリシャの名産。ママレード用のオレンジは酸っぱくて食べられない別種。
山間に、ようやく、ミケーネの遺跡がみえてきた!
ホメロスの叙事詩に「黄金のミケーネ」と記された伝説の都市国家。
1876年にシュリーマンが発掘し、史実であることが判明。
紀元前18世紀頃から。紀元前16世紀頃にクレタ文明を継ぎ、最盛期にはエーゲ海一帯を支配した。
ミケーネ遺跡の全貌。
小高い丘の上に王宮址がある。
写真手前は、円形墓地の一つ。王宮の周りに墓地が点在する。
野花が咲き乱れている。
獅子の門。王宮の入り口。
一つの石の重さが20tといわれる巨石を積み重ねてある。
ライオンの頭の部分は消失。
紀元前1300年頃のもの。
門の反対側。
円形墓地の復元図。
竪穴式。シリューマンは6つの墓を発掘。
武器や陶器、純金のアクセサリーが多く発見された。
20体近くの遺体は仮面をつけていて、その内の一つは黄金の仮面。
シリューマンはそれをアガメムモン王と信じたが、後から、実はもっと古い時代の墓であることが判明した。
しかし、この黄金のマスクはアガメムノンのマスクとして、他の遺品とともにアテネの国立考古学博物館に保存されている。
その円形墓地の址。
穀物倉。
隣りの山に隠れて、エーゲ海からは隠れている立地につくられたアクロポリス。
遠くエーゲ海を望む。
宮殿址の暖炉(火を燃やした址)の址? または神殿址?
何だったかしら。
東側には地下貯水槽が完備していた。
貯水槽に降りる階段。
北側後ろに控えている山。これも目隠しになったはず。
職人の作業場、居住址。
獅子の門(入り口)を中央に見る。
2〜3年前に作られた? ミュージアム・ショップなどはまだない。商売っ気はまるでなし。
小物の展示品は本物。
アガメムノンのマスクの模造。
ミケーネにある9つの墓地の一つで、アガメムノンの墓ともよばれる。
ミケーネ時代の王が埋葬されたとみられるが、発掘した時には荒らされた後で、何も残っていなかった。
紀元前1300年頃の建物。
円錐形の墓室でトロス(円蓋)墓といわれる。「蜂の巣型墓地」ともよばれる。
日本の古墳のように小高く盛られていて、隠されていた。
ミケーネの見納め。
コリンティアコス湾とサロニコス湾とを結ぶ運河。
大雑把にいえば、イオニア海とエーゲ海を結ぶ。
紀元前7世紀に商業の港ととして栄え、紀元前3世紀にはコリント同盟の中心都市国家としてさかえたのがコリント。
1893年にフランスの民間企業が作った。
全長6km。幅23m。橋から水面まで80m。
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