スローフードに代表されるスローという言葉が、日本では各分野で、特にマーケティング用語として急に流行りだしました。相も変わらず、言葉だけが先行して、中味、そのこころが伴っていないように考えられます。その現われが、今回のスローフード国際協会をめぐる騒動だったのでしょう。
実際にイタリアに出かけてみて学んだことは、イタリアでは、ことあらためてスローなどと言わずとも、これまでのあり方がそうなんだ、これからもこうしたライフスタイルを守っていきたいのだという、ごく普通の日頃の営みでした。スローフードなんて知らないということです。
家庭や家族を大切にし、小さくても家業を誇りをもって大切に守り、よく働き、地元の産物や料理、味に自信をもって子供たちにも伝えていくことを怠らない、そうした普通のことをしていこうとするイタリア人に、庶民の底力を強く感じました。
観光旅行だけで言われるイタリア人気質の、お気軽で明るいだけの、女性を追いかけ回すのが得意(失礼!)な、という表面的な印象が一掃されました。
イタリアという国の、歴史と伝統、その遺産、そして現在の底力を強く学んだ旅でした。
われわれ日本にも、各地にそれぞれの素晴らしい名産、特産があり、伝統があり、歴史があり、ライフスタイルがあります。一人一人がもっと大人になって自分に自信を持ち、地元を愛し、ゆったりと暮らせるようになれば、少しは豊かさを実感できる社会になっていくのではないのでしょうか。そうした環境は、イタリア同様にまだ残っているはずです。
[海外旅行記]
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