海外旅行記 > モロッコの旅 > 9、10日目
朝食後、マラケシュからおよそ3時間30分でカサブランカへ。
カサブランカではハッサン2世モスクのみの見学。
帰路の飛行機の時間が迫っているので、添乗さんとしてはここで迷子などの危ない事態は避けたいのでしょうね。
ハッサン2世モスク
モロッコで一番、世界でも五番目に入る大きなモスク。
先代の国王ハッサン2世が命により国中の職人と建材で建てられた。竣工は1993年。礼拝堂には2万5千人が入り、広場には8万人が集まれる。ミナレットの高さは200mで世界最高。
中には入れるはずだか、何かの都合で入れてもらえなかった。我がガイドさんは図体は大きいのに押しがきかない。
バスの窓から。
大西洋に面していて、海に突き出ているらしい。安芸の宮島のように。
大西洋に広がる広場。
水場。
* 映画「カサブランカ」はこの地で撮影されてはいない。ハリウッドかどこかのセットだそうだ。
ただストーリーは実話で、バーグマンの夫はオーストリアの伯爵かの貴族。妻とアメリカに亡命して、ヨーロッパ連合(EUか)を築く。その彼の母親が日本人で光子という人。ゲランは彼女を想像して「ミツコ」という香水を造った。
実話では出国はカサブランカではなく、リスボンだったそうだ。
この話は、ずっと昔にテレビで、光子さんのインタビュー番組で見たのを思い出した次第。
さて、これで観光は全て終わり、そそくさと飛行場に向かう。
カサブランカ発 14:30 EK0752 に乗りたいので、11時30分には空港に着きたいのだ。
無事に空港に到着。
それほど土産ものは買わなかったが大分スーツケースが重くなった。
搭乗窓口で量ると21kgある。エミレーツ航空は30kgまでOK。他の航空会社は20kgが多い。組合の強いところは重いものを扱わなくてすむように制限が厳しいのである。
して、座席について暫くして動き出した。が、動いてまた元に戻った様子。かなりの長い間止まったまま。その内にアナウンスがあった。「急病人が出て、飛行機から降りてもらうためこのまま止まります」と。客室乗務員が数人ある一人を囲んで何やらしている。それにしても病人らしき人は見当たらない。
私はゾーと背筋が寒くなった。ハイジャックかテロか。靴を室内履きから履き替えた。読書も止めて、バックを抱えた。
1時間半してようやく動き出した。病人は降りたのかどうか。
この便は、ドバイで成田行きに接続しているはずだが、接続時間は2時間半しかなく、1時間半すでにロスしているので、成田行きに乗れるかどうかだ。
事前の添乗さんの話しが傑作だった。この便は何時も遅れるし、成田行きがオーバーブッキングでツアー客の一部がドバイで1泊余儀なくされた事がある。でも、エミレーツ航空持ちホテル代で、ドバイが1日観光できるので、それもまあいいかな、と。事実我々の仲間も座席指定がとれなかった人がいた。彼も結局乗れちゃったが。
そんなこんなで、ドバイに着いたら猛ダッシュを覚悟した約8時間のフライトだった。
* これを書いている日(5/22)、数日前にパリ発カイロ行きのエジプト旅客機がエジプト領海上空に入ったところで爆発したとの事件が報じられている。テロか機械の故障かまだ不明だ。
飛行機は時間を稼いでくれたようでドバイでの乗り継ぎ時間は1時間強あった。着いたドバイの乗り換え口で、地上係員が「東京(成田)はこちらに急いで」と、待っていてくれた。「大阪はこちら」という係員もいて、慌てて大阪にいってしまってはまた一苦労だね。
ドバイ着 01:10 (予定)
ドバイ発 02:50 EK0318
成田着 17:35
ドバイから9時間45分で成田に到着。
着陸態勢に入って窓を開けと、九十九里浜から成田空港に入るようで、田植えの済んだ整然と広がる緑豊かな田園風景を眺めて、つくづくと日本を母国に持った幸せを感じた。
シュリーマンやイザベラ・バードら未開の地を想像して明治末期に日本にやってきた外国人が、丁寧に手入れされている日本の土地や庭、礼儀正しい人々に驚くのも無理はない。やはり日本は素晴らしい。
方角から今回は富士山はみることが出来なかったが、清らかな富士山が雲の上に見えたら涙が出てくる。
たいへんな乗り継ぎで、預けたスーツケースは一緒の便に乗れたか心配だったが、無事に着いていた。
めでたし、愛でたし。
国に帰りほっとして、JR総武線に乗ろうとしたら、電車が不通だったり大幅に遅れたりしていた。
駅警察に聞いたら、強風のためという。出がけは熊本地震で大変だったからまた地震かと案じた。
お世話になった皆様、ありがとうございました。
[完]
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